第8回いずれ来る「被爆者いない日」 紙芝居に記憶託す語り部

有料記事戦後75年 被爆者は託す

新垣卓也 伊藤繭莉
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 自ら絵を描き、色を塗り、セリフを考えた紙芝居「英ちゃんと原爆」。山田英子さん(85)は、いつも同じところで声を詰まらせる。

 「死体を一生懸命、おうちへ連れて帰っているのでしょうか。おじさんの心中は、どんなにつらかったでしょうか……」

 1945年8月6日。山田さんは疎開先の広島県河内村(現広島市佐伯区)で被爆。校舎の足洗い場にいたとき、突然目の前が真っ白になったかと思うと、広島市内の方角に、キノコ雲が立ちのぼるのが見えた。

 その日の光景で鮮明に覚えているのは、荷車に寝かされた黒こげの遺体と、それを懸命に運ぶ男性の姿。紙芝居を作るとき、当時見たままを思い出し、真っ黒く塗りつぶした。「ほんの一瞬で生活を奪われた人たちが、たくさんいた。彼らの苦労を考えると、平気じゃいられない」

 10年ほど前に語り部を始め、紙芝居を作った。自分の両親は無事だったが、家族の生死が分からない友達がいる中では喜べなかったこと。無力感にさいなまれたこと。画用紙20枚に、山田さんの当時の思いが凝縮されている。

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 その一方で、周囲の語り部は…

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