第6回輝いていた年上の学生 失った青春「思い出す、せめて」

有料記事戦後75年 被爆者は託す

伊藤繭莉
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 4枚の白黒写真をファイルから取り出す。学生帽をかぶり、詰め襟にマントを羽織り、下駄(げた)を履く男子学生たち。「女学生の憧れだったって、後で聞いたのよ」。福岡市の山口美代子さん(89)の声が弾む。

 長崎県立長崎高等女学校の3年生だった山口さんは、長崎市の三菱兵器大橋工場に動員され、魚雷の部品の図面を複写していた。そこで同僚として、2カ月間をともにしたのが旧制第七高(現鹿児島大学)の学生だった。

 戦時中、長崎には魚雷や防雷具などを作る兵器工場があった。戦況が悪化して労働力が不足するなか、1944年に「学徒勤労令」が発令され、中等学校以上の学生は軍需工場などに動員されることに。長崎原爆戦災誌によると、九州帝国大学や旧制第五高(現熊本大学)などからも学生らが動員された。

 人生論や学生寮の話。空襲警報で近くの山に避難した時や昼休みには、寮歌も教わった。ちょっと年上の七高生たちがまぶしい。戦時下、男女交際は「不良」と思われる。自分のサイン帳に恋文のようなメッセージが書いてあったのを見つけると、すぐにサイン帳を隠した。

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 そんな七高生の中で、仕事を…

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