第4回始まりは月商15万円の副業 日本人ひとり「経営修業」

[PR]

 就職先はどこにする? 日本から足を一歩踏み出すと、そこには躍動するアジアの舞台が待っていました。20~30代の6人が、仕事と生活を語ります。連載「アジアで就活」の第4回はシンガポール編です。

 ルイ・ヴィトンやグッチといった高級ブランド店が集まるシンガポールの目抜き通り、オーチャード地区。そこから歩いて10分ほどの大型のショッピングセンターが、江本精二さん(30)の職場の一つだ。食品大手ヨシムラ・フード・ホールディングス(東京)の現地法人のマネジャーとして昨年10月から、スーパーでのすしの製造販売や、レストランの経営などを手がける会社の業務改善を担っている。

 センター内のスーパーのすし売り場には、サーモン、マグロ、アボカドなど、色とりどりの具材を載せたすしが並んでいた。「日本発ということを意識してもらうため、彩りや見た目にも気を使っている」という。

 従業員約80人のうち、日本人は江本さんひとり。品ぞろえを考えたり、調達先を考えたり、取引先の開拓のための営業に出たりと何役もこなす。販売を担当する従業員アイリン・ビバスさん(34)は「現場のことを考えてくれているし、よく話を聞いてくれる。若さもあって、なんでも話しやすいのでありがたい」。

 もともと海外に特別な興味があったわけではない。初めてひとりで海外に出たのは2012年、大学院1年の夏。学生のうちに旅をしておこうと考えた。友人があまり行っていないラオスを選び、予定を決めず10日間過ごした。

 初日は、不安ばかりだった。夕方に空港に到着し、ホテルへ。近くの売店で飲料水を買ったが、外出が心細くて食事はあきらめた。現地の言葉は分からないし、知り合いもいない。この先も大丈夫だろうか。ため息が出た。翌日から観光地を訪ね歩いているうちに、考えが変わる。あちこちで現地のひとたちが陽気に話しかけてくる。「恐れずに応じれば、どんどん仲良くなっていける」。小さな自信になった。

 それでも、海外就職は考えもしなかった。工学部の化学専攻だった経歴を生かし、14年、国内大手メーカーの研究職に就いた。仕事はプラスチック材料の試作とその評価。10人ほどでチームを組み、半年のスパンで強度の改善やコストの削減などの研究課題に取り組んだ。

 そのうち、「このままでいいのか」と将来を考えるようになった。入社して1年を過ぎたころだ。当時、研修のために派遣されていた工場の現場では、仕事が少なかった。自分の時間が余っているように思え、悩みや焦りが生まれた。自分が本当にやりたいことは何なのか。

もともと海外に特別な興味がなかったという江本さん。なぜシンガポールで働くようになったのでしょう。記事後半で、インタビュー動画とともにご紹介します。

ここから続き

 そこで考えたのが、会社でも…

この記事は有料記事です。残り3634文字有料会員になると続きをお読みいただけます。

【お得なキャンペーン中】有料記事読み放題!スタンダードコースが今なら2カ月間月額100円!詳しくはこちら