被爆した建物、きれいにしすぎ? 他の壁と見分けつかず

有料記事戦後75年特集

宮崎園子 辻森尚仁
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 75年前の原爆に耐えたとして広島市が保存に取り組む「被爆建物」。この夏、世界遺産原爆ドーム(中区)に次いで爆心地から近い二つの建物が、相次いで大規模な「衣替え」をした。いずれも被爆前の外観を再現するものだが、被爆の痕跡が分かりづらいという指摘も上がる。(宮崎園子、辻森尚仁)

 広島市屈指の繁華街・広島本通商店街内に1日、ひときわ目立つルネサンス様式の建物が再オープンした。パン製造大手のアンデルセングループ(広島市)の旗艦店「広島アンデルセン」で、2年余りに及ぶ建て替え工事を終えた。

 地上5階建て、延べ床面積3400平方メートル。商店街に面した建物北側の2階部分には、1925年に完工した元の建物にあったコリント式の円柱を復元した。一方で内装は、「スタイリッシュ・デンマーク」をコンセプトに、白木と白壁などで「北欧」を表現した。新型コロナウイルス対策のため、限定的な営業での再出発。この日は、午前10時の開店と同時に買い物客でにぎわった。

 原爆で被爆した後も現存する「被爆建物」で、広島市がリストに登録している86件の一つ。原爆ドームと平和記念公園内のレストハウスに次いで、爆心地から3番目に近い。元の建物は1925年、三井銀行広島支店として建てられ、帝国銀行広島支店に名前を変えた。45年8月6日、建物の西360メートルの上空で原爆が炸裂(さくれつ)し、天井や屋根の大半が壊れた。

 アンデルセングループは67年に建物を買い取り、ベーカリー・レストランに。原爆に耐えた金庫室は扉を撤去して冷蔵庫とするなど内部を改修したが、爆心地と反対側の東側と北側の外壁は被爆した当時のまま残っていた。耐震性の不安から2016年に旧建物での営業を終えた。工法をめぐり検討を重ねたが、耐震補強を施した改修はむしろ工事費が高額になると判断し、建て替えを決めた。その際、被爆した外壁約290平方メートルのうち耐久性に問題がない約50平方メートルだけを切り出し、新店舗の2階部分の東側外壁に貼り付けた。だが、他の壁と見分けるのは難しくなってしまった。同社の担当者は「『できればそのまま残して』との声を多くいただいた。被爆した壁は基本的に残すつもりだったが、補強しても活用できるのがこの部分だけだった」と話す。

 外壁の一部だけを残した全面的な建て替えだが、市は被爆建物の保存工事として、国の負担分を含めて計8千万円を補助。建物は今後も「被爆建物」であり続ける。

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