第8回灯台の真下、くりぬかれた洞窟 海峡にらむ砲台跡が今も

有料記事戦後75年 空から見た戦跡

井手さゆり
【動画】見学できるようになった愛媛・佐田岬の洞窟式砲台跡=矢木隆晴、井手さゆり撮影
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 日本一細長い半島の佐田(さだ)岬(愛媛県伊方町)の最西端。豊予(ほうよ)海峡を行き交う船の霧笛が響く。この海を照らす佐田岬灯台の真下に、洞窟がぽっかりと口を開けている。第2次世界大戦末期に造られた洞窟式砲台の跡だ。

 瀬戸内海と宇和海を隔てる佐田岬は、大正時代の終わりから昭和にかけて、旧日本陸軍が大分・愛媛両県に築いた豊予要塞(ようさい)の拠点の一つだ。軍港・呉(広島県)がある瀬戸内海の西の入り口から敵が侵入するのを防ぐためだ。洞窟式砲台は1945年3月、本土決戦に備えて建設が始まった。

 灯台下に2門、隣接する御籠島(みかごじま)に2門ある砲台跡は、いずれも素掘りの洞窟だ。アーチ状の海側の開口部はコンクリートで固められ、カムフラージュの迷彩塗装の跡が残る。しかし、内側の壁は海砂利混じりの荒々しい作りで、岩盤がむき出しの所もある。天井を支える梁(はり)や柱は木製だ。ここに射程約5キロの三八式十二糎榴弾砲が配備された。

 だがその頃には、爆撃機が都市部にも飛来し、東京や大阪なども大空襲に遭っていた。結局、この砲台は使われることなく終戦を迎えた。

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2020年は戦後75年。今も全国各地に残る戦跡をドローンで撮影し、随時配信しています。

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