幻の車、光を当てた白黒写真 驚きの手仕事が原点だった

有料記事戦後75年特集

辻森尚仁
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 75年前の原爆で焼け野原となった広島。その数年後、原爆で社屋を焼かれた自動車販売会社と車体加工業者が協力し、職人が手作業で板金加工してボディーを取り付けた四輪乗用車がつくられていた。幻の車に光を当てたのは、86歳の被爆者が大切に保管していた1枚の白黒写真だった。

白黒の写真は語る

 2007年秋、広島トヨタ自動車広島市中区)の企画室長だった菅川純子さん(49)=現・同社取締役=は、新年の卓上カレンダーを作るため、古い写真を集めていた。その中で、武骨なフォルムの四輪乗用車を職人たちが取り囲んだ写真に行き当たった。

 持ち主は広島県廿日市市の中川太芽雄(ためお)さん(86)。中川さんの父輝義さんは戦後、トラックなどの車体の板金加工を手がけていた。

 写真はカレンダーに採用されなかったが、思わぬ形で広島トヨタの藤井一裕社長(56)の目に留まる。08年のリーマン・ショックで同社の販売台数は半分近くに低迷。藤井社長は「先が見えなくなる中、あの写真に自分たちのオリジン(原点)を感じた」という。

 菅川さんらは写真の由来を中川さんから聞き取った。「トヨタの本社がある愛知からハンドル付きのシャシー(車台)を運んできた」「父の会社にいた職人たちが手仕事で板金加工していた」。中川さんの証言に、菅川さんらは驚いた。

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 戦前から四輪乗用車と言えば…

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