大リーグが23日(日本時間24日)に開幕した一方、その大舞台を目指して若手がしのぎを削るマイナーリーグは、今季の中止が決まった。昨年5月にドジャースとマイナー契約を結んだ元DeNA投手の北方悠誠(ゆうじょう)(26)も影響を受けた一人。先が見通せない中、北方はいま、何をモチベーションに毎日を過ごしているのか。
春季キャンプが突如中止に
昨年は米国に慣れるため、主にルーキーリーグで肩慣らし。今年の春季キャンプは、大リーグ昇格を目指し、本格的にアリゾナ州でトレーニングを始めていたところだった。
「フロリダ州で、選手が新型コロナウイルスに感染したようだという情報が入って……」
その一報の翌日から突如、練習が行われなくなり、球団施設も閉鎖。現地に2週間ほど滞在して練習再開を待ったが、米国内での新型コロナは、感染拡大の一途だった。「アメリカはどんどん振ってくる。コントロールが悪いという評価がついている日本より、アメリカの方が僕には合っている」と手応えはあった。だが、周囲から「広がらないうちに、帰った方がいい」という助言を得て、3月中に日本に戻った。
帰国後は、渡米前に所属していた独立リーグ・栃木の施設を借りて練習を続ける。国の緊急事態宣言が出されてからは、栃木県小山市内での練習は、2時間限定。一緒に練習するのは、キャッチボール相手だけの日もあった。ただ「また米国に呼ばれてもいいように」と、いつでも打者相手に投げられる準備を続け、気持ちは切らさなかった。
甲子園の活躍から一転… 戦力外で独立リーグへ
北方が全国的に注目を集めたのは、佐賀・唐津商高のときだ。2011年夏の第93回全国高校野球選手権大会にエースとして出場。2回戦で作新学院(栃木)に敗れたものの、1、2回戦ともに1人で投げ抜き、2桁三振を奪った。球速は153キロをマーク。剛腕投手として評価され、その年秋のドラフト1位で横浜(現DeNA)に入団した。
甲子園での活躍から一転、プロ入り後は、苦しんだ。相手から制球難を見抜かれ、思うようにストライクが取れない。制球を改善しようと、腕が縮こまる。投球フォームを試行錯誤した末、さらに制球が悪くなる悪循環だった。「投げるのも嫌な状態でした。マウンドにも立ちたくなかった」。球速はみるみる低下し、3年後の14年に戦力外通告を受けた。
12球団合同トライアウトを経て、ソフトバンクと育成契約を結んだものの、1年で再び戦力外を告げられた。プロ復帰を目指した独立リーグでも、群馬→愛媛→信濃→栃木と渡り歩いた。
きっかけはダルビッシュ
「僕は不器用。逃げて、遠回りしたこともあった」
DeNAを戦力外になって2年がたち、ようやく球速が150キロ程度まで戻ってきているときだった。DeNA時代の先輩、高森勇旗さんから誘われ、当時レンジャースに所属していたダルビッシュ有とトレーニングをした。それまでの北方は、持って生まれた体の強さに頼り、深く考えてこなかった。
メニューは、140キロの負…
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