山本寛斎さん 周囲を巻き込んだ熱意 「常に死を覚悟」

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編集委員・高橋牧子

 国際的なファッションデザイナーで、国内外での大規模イベントのプロデューサーとしても活躍した山本寛斎さんが21日、76歳で亡くなった。

 1970年代初頭から、前衛的な日本のファッションを世界に知らしめた草分けだった。後に「日本の御三家」とされる三宅一生や山本耀司、川久保玲がモノクロや平面性など、和を「静」で表現したが、一方の山本さんは浮世絵歌舞伎など、大胆な柄と強烈な色彩の「動」のイメージで打ち出した。

 71年、ロンドンでのファッションショーで注目され、デビッド・ボウイからステージ衣装を依頼された。「出火吐暴威(デビッド・ボウイ)」の漢字が黒と赤であしらわれた白いマントなどは、ユーモラスで明るい山本さんらしい。

 ここ10年ほどはその派手な作風が再注目され、パリの古着店などでも人気となり、高値で売られている。近年は数多くのファッションデザイナーが彼のデザインを参考にしていた。なかでも、ルイ・ヴィトンのデザイナー、ニコラ・ジェスキエールは山本さんのファンで、2017年に日本で開催されたショーのコレクションは、山本さんの服を着想源に作られた。歌舞伎調の柄のスパンコールドレスや裃(かみしも)のようなブラウスが登場した。ルイ・ヴィトンのモノグラムのバッグなど小物には、山本さんが手掛けたダルマや歌舞伎調の柄があしらわれた。

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 岐阜から上京して、21歳で…

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