「災害は忘れた頃に」亡き母の言葉 西日本豪雨から2年

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東谷晃平
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 死者296人(うち関連死74人)、不明者8人に上り、住宅1万8千棟余りが全半壊した2018年の西日本豪雨から6日で2年となる。

 被害が集中した広島、岡山、愛媛の3県では自宅の再建が進み、一部で災害公営(復興)住宅への入居が始まったものの、仮設住宅には6月末(広島県のみ7月1日)時点で、ピーク時の4割弱に当たる約1760世帯の計約4千人が残る。壊れた自宅を修理して住み続けている在宅被災者も多い。被災地では息の長い支援が求められている。

 また、福岡、大分両県で災害関連死を含む42人の死者・行方不明者が出た17年の九州北部豪雨から5日で3年となった。

豪雨「家族はいてもたってもいられん」

 「熊本の人たちは、今が大変なときじゃと思う。どうしていいか分からんし、先も見えん。連絡が取れない家族がいる人は、いてもたってもいられんと思う」

 広島県坂町の水尻(みずしり)忠道さん(58)は、豪雨に襲われた熊本県に思いをはせた。2年前の西日本豪雨で19人が命を落とした坂町。町立小屋浦小学校の体育館で5日、追悼式が開かれ、水尻さんは遺族代表で声を詰まらせながらあいさつした。

 「私たちは大切な家族を亡くした悲しみや無念さを、決して忘れることはないでしょう」

「水が胸まで来た。はよ帰ってきて」

 2018年7月6日。水尻さんは広島市へ買い物に出かけた。平屋の自宅に母キク子さん(当時85)と叔母の岡田須磨子さん(同82)が残っていた。

 午後8時ごろ、母から携帯に着信があった。

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 「ドーンと雷が落ちたんよ」…

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