奈良)「マキムク」の変遷探る 「纒向学」研究員が考察
清水謙司
邪馬台国の有力候補地とされる纒向(まきむく)遺跡(奈良県桜井市、3世紀初め~4世紀初め)。その地名「マキムク」は、いつ、どのように使われてきたのか。同遺跡の発掘調査の担当者が最新論文で変遷をたどった。
論文を書いたのは同市纒向学研究センターの森暢郎研究員(34)。古代から近世の歴史書や和歌集などに出てくる400例以上を集めて用例の整理を試みた。結果、「マキムク」は古代から使われ続けており、用例は主に三つの分野に出てくることが分かった。
一つ目は、古事記や日本書紀などで天皇宮や天皇についてふれたもの。同市には纒向日代宮(ひしろのみや)や纒向珠城宮(たまきのみや)の跡が伝わっている。二つ目は歌の題材。万葉集には10例以上登場するという。三つ目は実際の地名や神社の名前。平安時代の法令集「延喜式」には、「巻向社」との記述がある。
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語源のはっきりしたことは分…
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