徳島大空襲、逃げて隠れた橋の下 家族にもほぼ話さぬ夜

有料記事戦後75年特集

福家司
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 徳島大空襲から4日で75年。当時、国民学校(小学校)5年生で空襲を体験した久次米幸子さん(85)=旧姓平野、徳島市川内町=が、当時の惨状を初めて詳細に語った。

 「戦争ほどむごいものはない。絶対にしてはいけない」

 現在の同市佐古六番町に母クニ子さん、2歳の弟孟司さんと3人で暮らしていた。佐古国民学校(現・佐古小)に通っていた。繊維会社勤めだった父治美さんは、国内の軍需工場に徴用されて、不在だった。

 蒸し暑い夏の夜だった。空襲警報が解除された後、大人たちは涼み台と呼ばれる腰掛け台を軒先に出して、おしゃべりをしていた。子どもたちも外で遊んでいたが、母親から「もう寝なさい」と言われて一人で帰宅。蚊帳に入って横になった。

 4日午前2時ごろ、ドーンという音に跳び起き、外に飛び出した。

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 「家の前にあった馬車の荷台…

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