「これが私」ALS発症の医師が嘱託殺人を許さないわけ

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構成・花房吾早子
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 難病の筋萎縮性側索硬化症(ALS)の女性患者が医師に薬物を投与され、殺害されたとされる事件が、社会に衝撃を与えている。8年前にALSを発症した医師の竹田主子(きみこ)さん(50)=東京都=は、死を願った自身の経験を振り返り、患者への社会全体の支援を訴える。

たけだ・きみこ 信州大医学部卒業。東京大医学部付属病院などで勤務。12年にALSを発症し、18年に人工呼吸器を着けた。現在、カルテの翻訳や法律事務所から医療訴訟の相談などを受ける「東京メディカルラボ」代表。

生と死で揺れ動いた過去

 私は2012年にALSを発症しました。生きがいの仕事を続け、私生活も充実し、今では病気療養中だという自覚がありません。でも、「これが私!」と思えるまで4年かかりました。

 診断を受けた当初はとてもショックで、自分が無力で価値のないものに思えました。どんどん体が動かなくなるのは恐怖ですし、人生に絶望します。私のせいで家族が今まで通り生活できないのも申し訳なく、生きていること自体が罪な気がして、ずっと泣き続けていました。

 「人工呼吸器を着けてまで生きたくない」と思っていました。傷つくことを言われ続け、「そんなに目障りなら死んでやる」と半ば復讐(ふくしゅう)手段として死を考えたり、「肺炎になっても治療はいらないし、そのまま死にます」と当時通っていた病院でカルテに書いてもらったりしたことも。医師による自殺の手助けが法律で認められていたら、選んでいたかもしれません。

記事の後半では、竹田さんや専門家の視点から難病と安楽死の関係について考えます。

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 一方、「子どものために生き…

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