第5回「親として普通のことをやった」 滋さんの強さの源流は

有料記事横田滋さんの43年

編集委員・北野隆一

 北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの父滋さんの半生をたどる連載の最終回。優しい笑顔の奥に秘められた「強さ」と信念について考えます。

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「一番苦しいのは、とらわれた娘だ」

 北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの父滋さんの半生をたどる連載の最終回。優しい笑顔の奥に秘められた「強さ」と信念について考えます。

 横田早紀江さんは娘めぐみさんが突然失踪した後、絶望して死ぬことばかり考えていた。そんな時、知人が差し入れた聖書の言葉に出あい、7年後の1984年に新潟市の教会で洗礼を受けた。しかし滋さんは頑としてキリスト教に入信しなかった。支援団体「救う会」会長でキリスト教徒でもある西岡力氏によると、滋さんはこう語っていたという。

 「早紀江が信じることは、精神的安定のためによかった。しかし、自分は信じない。神がいるならなぜ、愛する娘を突然奪う不条理を許すのか。めぐみを連れてきてくれるならどの神様でも拝みます。一番苦しいのは北朝鮮にとらわれた娘だ。彼女が苦しんでいるのに、父の自分だけが宗教に頼って心の安定を得たら申し訳ない」

 滋さんは「神が人間を作ったのではなく、人間が神を作ったんだ」ともいい、家族で神社に参拝に行っても、自分だけは鳥居をくぐらずに外で待つような人だったという。

 早紀江さんによると滋さんは「すごく科学的」。札幌南高校時代は郷土研究部で、北海道余市町で発見された「フゴッペ洞窟」の遺跡発掘に参加した。日本銀行定年退職した後は、東京・上野の国立科学博物館で子ども向け体験展示コーナーのボランティアを務めた。

 信仰を持たない中、愛する娘の帰りを待つ苦しい年月を支えたのは「生きていると信じること」と「めぐみを連れ去った犯人への憎しみ」だった、と滋さんは語っている。

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 ただ、「憎しみ」だけでは解…

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