死者数100万人以上 奈良時代の天然痘大流行とは?

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渡義人
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災害考古学 番外編

 天平文化と呼ばれる貴族・仏教文化が花開いた奈良時代は、疫病が何度も発生し、不安と恐怖の絶えない時代でもあった。中でも天平9(737)年に大流行した天然痘では、人口の約3割が命を落としたとされる。人々は、未曽有の危機にどう向かい合ったのだろうか。

 奈良時代の基本史料「続日本紀(しょくにほんぎ)」によると、天平7(735)年に九州で発生した疫病は、その後全国で流行。一度は下火になったが、737年の春になると再び九州から流行が始まり、夏から秋にかけて都の平城京をはじめ、全国で猛威を振るった。

 「古代に疫病は何度も流行していますが、この時は中世ヨーロッパ社会を変えたペストの大流行のような、空前の大惨事だったと言えます」。京大大学院の吉川真司教授(日本古代史)は話す。

人口の半数近くが死亡した国も

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 奈良時代前半の全国の総人口

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