不謹慎に思えた江戸の疫病史料 コロナ体験し見えたこと

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構成・栗田優美
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 江戸時代、疫病を題材にした草双紙(小説本)、浮世絵、狂歌などが数多くつくられた。感染症が身近だったことが伝わってくるが、こうした大衆向けの出版物を収集している奈良女子大学の鈴木則子教授(日本近世史)は、今回のコロナ禍で江戸の人々に対する見方が大きく変わったと話す。現代と重なる、ある「力」とは。

すずき・のりこ 1959年、静岡県生まれ。専門は日本近世史、医療社会史、女性史。著書に「江戸の流行(はや)り病 麻疹騒動はなぜ起こったのか」(吉川弘文館)など。

情報と風刺が印刷物で流布

 参勤交代やお伊勢参りなど長距離の陸上の移動に加え、海上の行き来も盛んになった藩政期には、度々はしか(麻疹)や天然痘が流行しました。特に1862(文久2)年の流行時には多くの人が命を落としました。

 印刷技術が発達した時期で、病よけのまじないや、予防・治療・病後の養生に関する情報が、印刷物を通じて飛び交いました。「はしか絵」と呼ばれる錦絵、養生書などです。

 はしか絵「麻疹退治」は、感染対策で商売が成り立たなくなった遊女、酒屋、落語家、床屋などが、はしかの鬼を寄ってたかってたたく様子を描きます。鬼を助けようとする医者と薬屋の姿があるのは、患者が増えて薬が売れたからです。上部には食べていいもの、悪いものリストがあり、実用情報という機能もありました。

 麻疹陣営と、商売が成り立たなくなった屋形船主、すし屋、風呂屋などが対決する合戦絵もあります。こうした創作には、社会的混乱に対して、実効的な対処ができない幕府への反発も込められていたでしょう。正面からの批判が許されない中、コミカルな絵で留飲を下げていたと想像できます。

歌舞伎のパロディー

 当時、庶民の最大の娯楽が歌舞伎でした。病にかかった人気役者の錦絵のほか、はしかを題材にした芝居のせりふ集も生まれました。せりふ集とは、通常、芝居小屋で売られるもので、人々は普段からこれを買ってせりふを覚え、数人のかけ合いで役者の物まねを楽しみました。

 はしかを題材にしたものの一つ「はしかさやあて かけ合」は、人気演目の一場面「鞘当(さやあて)」のパロディーで、実際の舞台で演じられることはなかった作品です。

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 例えば、「鞘当」冒頭のこん…

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