戦後最大の分岐点 60年安保改定、岸信介の強行と退陣

有料記事日米安保の現在地

編集委員・三浦俊章 山本悠理
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 70年近く日本のあり方を規定してきた日米安全保障条約は、一度だけ改定されたことがある。いわゆる60年安保である。社会を分断する論争や反対運動が繰り広げられた。改定を進めたのは、安倍晋三首相の祖父・岸信介。戦前・戦中に権力中枢にあった岸は戦後、復権を果たすと、ナショナリストの立場から、より対等な条約を求めた。強引な政治手法で改定を実現させたものの、内閣は退陣に追い込まれた。これを機に熱い政治の季節は終わり、日本は経済成長の時代へと進んだ。戦後史最大の分岐点を振り返る。

 敗戦から3年余り。1948年12月24日、東京・永田町官房長官公邸に、やせこけた男が現れた。対米開戦を決めた東条内閣の商工相だった岸信介(1896~1987)である。A級戦犯容疑者だった岸は、この日巣鴨プリズンから釈放され、実弟の佐藤栄作官房長官を訪ねたのだった。うまそうにたばこをくゆらす写真が残っている。

 佐藤は占領下の首相だった吉田茂の誘いで運輸次官から政界入りし、権力の階段を上りつつあった。しかし、この9年後、佐藤ではなく兄の岸が首相になるとは、だれが想像したろう。

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 岸復権を可能にしたのは冷戦…

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