「私の音楽人生の土台」 庄野真代、秘蔵のノート初公開

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聞き手・冨田悦央
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 「飛んでイスタンブール」が大ヒットしたシンガー・ソングライターの庄野真代さん(65)は今、オーナーを務める東京・下北沢のカフェ兼ライブハウス「Com.Cafe音倉(おとくら)」を、無観客ライブの発信基地として存続させる道を模索しています。新型コロナウイルスの感染拡大で、一時は廃業も考えたという庄野さんが、朝日新聞のインタビューにこたえました。

 ――コムカフェ音倉は、昼はオーガニックのランチを提供するカフェ、夜はライブハウスとして親しまれてきました。

 私も毎月のように歌ってきましたし、音楽だけでなく芝居、落語も演じられ、絵画の個展などを開くギャラリーでもあります。ライブハウスなのに珍しく子どものイベントを開くなど、いろんな方が足を運んで下さったんです。

コロナ禍、「廃業も考えた」

 ――感染拡大の影響はいかがでしたか。

 2月の終わりころから深刻な状況に。3月3日には歌手の日野美歌さんとライブをしましたが、それも直前まで中止にしようか、すまいかと悩みました。3月に入ってからは公演の延期、中止が増え、4月からはゼロに。厳しい状況で、廃業も考えましたが、デビュー前のことを思い出しました。

 高校生のころから、ずっと身近に置いているノートがあります。思いついた言葉や、ギターコードをふった歌詞を書き留めたものです。なかには作品として世に出たものもあります。私の音楽人生の土台になっています。実は、20歳の時、音楽活動の先が見えず、歌をやめようと思いました。でも、「最後にもうひと頑張り」と考え直して出た「フォーク音楽祭」で、デビューのきっかけをつかんだ。だから「音倉」もやめると決める前に、できることは全部やろうと思ったんです。

庄野さんが、メディアには初公開というノートを見せてくださいました。記事の後半で写真を載せています。

芸術文化は、みんなで楽しむもの

 ――クラウドファンディングを5月29日までの予定で始めました。

 アーティストにとって、表現する場があるかないかでは、やる気に関わってきます。芸術文化は、みんなで創って、みんなで楽しむもの。だから、表現する場を維持することはとても大切です。

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 コロナのことがあってから…

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