1千個のラグビーボールを子どもたちに 山中亮平の思い

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野村周平
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 どこにいるかではなく、何をするかだ――。

 ラグビー日本代表のFB山中亮平(31)=神戸製鋼=が、自ら企画した洋服の売り上げを元手に全国150の幼稚園や保育園に約1千個のラグビーボールを贈った。幾多の試練を乗り越え、昨秋のワールドカップ(W杯)日本大会では全5試合に出場した苦労人。プロジェクトには、そんな彼ならではの思いが詰まっている。

 着想は2年前。母校・早大ラグビー部の同級生でW杯日本大会のキャッチコピー「4年に一度じゃない。一生に一度だ。」を考えた吉谷吾郎さんや、早大の後輩のFW布巻峻介(パナソニック)と「ラグビー選手が着られる大きめの服を作ろう」と意気投合したのが始まりという。プロジェクト名を「OFF(オフ) THE(ザ) FIELD(フィールド)」とし、ロゴ作りなどを進めていった。

 当時の山中は、31人しか入れないW杯メンバーの当落線上にいた。さらに所属する神鋼には、世界的司令塔であるSOダン・カーターが加入。同じ10番を定位置としていた山中は「居場所を失うのでは」と焦っていた。

 吉谷さんに打ち明けると、何げない一言が心に刺さった。

 「山ちゃん。大事なのはポジションじゃなくて、与えられた場所で何をするか、じゃないの」

 友の言葉でポジションへのこだわりが消えた。チームが勝つため、自分にできることをやりきるという原点に立ち返れた。その夏、チームの最後尾を担うFBに転向。新たな役割で神鋼の15季ぶりのリーグ優勝に貢献すると、サンウルブズや代表でもアピールを続けた。

 初めてW杯を目指した2011年大会の前には、ひげを伸ばすために使った育毛剤で禁止薬物違反が発覚。2年間の出場停止処分を受けた。続く15年大会も直前で落選。三度目の正直で悲願のW杯切符をつかんだ。「吾郎の言葉があったから、前向きになれた」と振り返る。

 W杯を機に国内のラグビー熱が高まると、温めていたプロジェクトを加速させた。吉谷さんと話し合い、さらなる競技の普及につなげられたらと、服の売れ行きに応じてボールを贈ろうとアイデアを膨らませた。「子どもたちも、買った人もうれしい。僕らも好きな洋服を着られる。みんなが『ウィンウィン』になれる」

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 需要を調べるため、まず53…

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