新潟)なぜ「幻のコメ」に コシヒカリの苦肉の策とは

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荒海謙一
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コシヒカリの旅 飛躍編(2)

 「うまいコメ」を求める消費者の声に後押しされ、1969年から始まった自主流通米制度。先行したのは宮城県で育成された「ササニシキ」だった。主に東北地方で作付けを増やし、この年の自主流通米の流通量はササニシキの37・5%に対し、新潟コシヒカリはわずか3・8%。知名度でも水をあけられていた。

 コシヒカリの販売を担う新潟県経済連(現JA全農にいがた)は翌年、巻き返しを図るため、東京事務所を開設。初代所長の渡辺亘さん(故人)は、「新潟コシヒカリ30年のあゆみ」(新「新潟米」生産推進運動委員会、86年)の中で、当時の苦労を記している。

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