「緊急」の魔力、法を破ってきた歴史 憲法学者の警鐘

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聞き手 編集委員・豊秀一 石田祐樹
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 緊急事態宣言が全国に拡大する。新型コロナウイルスの感染の広がりを防ぐのが目的だが、一方、私たちの自由は制約されることになった。緊急事態条項を作るための憲法改正を主張する声も上がる。憲法学者の石川健治さんは「『緊急』に名を借りて権威主義的な政治へと踏みだす、アリの一穴にしてはならない」と警告する。

憲法学者・石川健治さん

1962年生まれ。東京大学教授。著書に「自由と特権の距離(増補版)」、編著に「学問/政治/憲法 連環と緊張」など。

「緊急事態条項」と無関係

 ――「緊急事態宣言」が出されて10日たちました。憲法学の視点からどう見ていますか。

 「まず、はっきりと仕分けしておかなければならないのは、今回の事態は、憲法に『緊急事態条項』を加えるかどうかという議論とは関係がない、ということです。この機に乗じて改憲機運を盛り上げようとする動きには、釘をさしておかなければなりません」

 「緊急事態の議論には2種類あります。何が緊急事態かを問題にし、独裁権力を想定しない『客観的緊急事態』論と、独裁権力を想定し、誰がそれを握るかを論ずる『主観的緊急事態』論です。この二つを区別すべきだと説いたのは、ドイツの公法学者ユリウス・ハチェックでした。彼の意見では、前者が立憲主義にとっての正道、後者は邪道です。日本の憲法学者にも影響を与えた人でした」

 「刑法には『緊急避難』という議論があります。よく例に出されるのは、古代ギリシャの哲学者カルネアデスが出した設例です。船が難破して皆が溺れかかっているとき、目の前に舟板が流れてきたとする。2人つかまれば板ごと沈んでしまう状況で、自分が助かろうと他人を突き飛ばした人間を、殺人罪として処罰できるか。どちらにも生きる理由がある。正しい利益と正しい利益がぶつかっている。それらが両立せず、しかも決断に緊急を要するときに、殺人罪で処罰されるリスクを冒し、やむを得ず他人を突き飛ばして難を避けた行為。これを『緊急避難』であったことを理由に、裁判所が事後的に無罪とすることは、認められています」

 「同じように、『緊急』を理由に行われた国家の行為に対しても、市民社会の法理をあてはめて、法律で免責したり、違法と判断したりするのが、18世紀の英国で始まったとされる『客観的緊急事態』論です。平時なら違法な国家行為を、どういう条件なら免責し得るのかが問題となりました」

 「これに対して、憲法上の『緊急事態条項』論議は、緊急事態を理由に議会から立法権を奪って、『誰か』に委ねる条文を新設する議論です。ナポレオンの失脚後、フランスの王政復古の流れのなかで出てきたものです。『緊急事態』を口実として、国王が、法律の効力をもつ命令を、議会の関与なしで主観的に出せるようにしたのです。そうしたフランスの反立憲主義的な思想が、ドイツの君主制憲法に伝わり、日本の明治憲法に輸入されました。これがいわゆる『主観的緊急事態』論です」

 ――明治憲法には、議会の閉会中に、天皇が法律に代わるものとして命令を発する「緊急勅令」(8条)がありました。

 「最高刑を死刑に引き上げる治安維持法の改正案が1928年、帝国議会では廃案になったにもかかわらず、当時の田中義一内閣はこの緊急勅令を使って成立させています。『主観的緊急事態』論が何をもたらすかをよく物語っています。ほかに、緊急事態を理由に軍隊を出動させ、行政権や司法権を軍部に委ねて私権制限をさせる「戒厳(かいげん)」の大権(明治憲法14条)や、戦時または国家事変の折に臣民の憲法上の権利を制限する大権(同31条)も、天皇には認められていました。これらを、天皇自身というより、実際には天皇を輔弼(ほひつ)する勢力が動かそうとしたわけです。日本国憲法は、これを排除しました」

 ――憲法に緊急事態条項がない理由を、憲法担当だった金森徳次郎国務大臣が、憲法制定時の国会で述べています。「民主政治を徹底させて国民の権利を十分擁護するためには、政府が一存で行い得る措置は極力防止しなければならない。言葉を非常ということに借りて、それを口実に(権利や自由が)破壊されるおそれが絶無とは断言しがたい」

 「こうした過去の反省を踏まえ、日本国憲法が用意した緊急事態条項が、参議院緊急集会の制度を定める54条2項ただし書きです。戦前の緊急勅令の制度を独自に換骨奪胎しました。緊急集会でとられた措置は臨時のもので、衆議院の同意を得られないと効力を失い、事後的に必ずチェックを受ける仕組みになっています」

医学的判断、まず尊重を

 ――しかし、そのことに不満な政治家がいます。

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 「新型コロナウイルスの蔓延…

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