「げん爆を世にうったえて」 ドームを残した1冊の日記

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宮崎園子
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 原爆投下の15年後、広島で被爆した1人の高校生が、原爆ドームの保存を願う日記を残して亡くなった。思いの輪は広がり、保存運動に。残されたドームは、今も核兵器の悲惨さを静かに訴える。今月、彼女の没後60年を迎えた。功績に光を当てようと、同級生たちが動いている。

 てっぺんの円蓋(えんがい)の鉄骨がむき出しになり、いつしか「原爆ドーム」と呼ばれるようになった旧広島県産業奨励館は戦後、雨風などで少しずつ崩れていた。

解体求める市民、動かしたのは

 「見ると胸をえぐられる」「過去の恨みや憎しみを思い起こさせる」。解体を求める市民もいた。

 そんな中、1960年8月に保存を求める署名運動が始まった。きっかけとなったのが、その春に亡くなった楮山(かじやま)ヒロ子さん(当時16)の日記だった。

 1歳8カ月の時、爆心地から1・5キロの自宅で被爆した。けがもなく、元気に育ったが、高校1年を終えたばかりの60年4月5日、急性リンパ性白血病で亡くなった。

 中学卒業の頃から日記をつけていた。亡くなる前年の8月6日、こう書いた。

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 「広島(市)民の胸に今もま…

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