介護で疲弊、夫婦生活拒んだら…普通の家族が壊れるまで

有料記事介護とわたしたち

編集委員・清川卓史
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 介護保険ができる前、家族介護を支えたのは「嫁」、つまり息子の配偶者だった。山形県の女性(74)も、「嫁介護」が当然視された時代を生きた一人だ。7年間に及ぶ義父母の介護の後に待っていたのは、ねぎらいではなく、激しい夫のDVだった。義父母をみとって20年以上の歳月が流れた今も、苦悩は続く。

 同居の義父がALS(筋萎縮性側索硬化症)と診断されたのは1991年のことだ。会社を休み、病院に毎日のように通った。

 オムツの中に手をいれて便を口に運んでいたのを目にした日、ショックで涙がぽろぽろこぼれた。温かいタオルで義父の下半身を拭いていると、女性の手首をつかんで離さなくなることが幾度かあった。看護師に相談すると「男性にはたまにあること」「(体に)触らせてあげている人もいる」と言われた。ずっと家族にも言えなかった。発病から3年、義父は81歳で亡くなった。

 その頃からパーキンソン病を患っていた義母の認知症が進み、介護負担が重くなった。初期は深夜の単独外出が続いた。出入り口にかぎをかけても窓から出てしまう。2、3日に一度の頻度で繰り返し、行方がわからなくなったこともあった。

 義母のベッドの隣に布団をしき、義母と自分の手首を太い毛糸で結んで寝た。寝たきりになったとき「率直に言えば、ほっとしました」。

 オムツ交換や15分おきのたんの吸引。満足に睡眠がとれない日々は続いた。腰を痛め、過労で何度か倒れた。

 それでも、夫は介護に一切関わろうとしなかった。

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 「あなたの親でしょう、手を…

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