死を悲しむより「表に出よう」 愛する夫奪ったNZ乱射

有料記事特派員リポート

クライストチャーチ=小暮哲夫
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 ニュージーランド南部の中心都市クライストチャーチ。ガーデンシティーと呼ばれる緑豊かな街のモスクに、武装した男が侵入したのは昨年3月15日だった。

目の前を通り過ぎ、乱射を始めた

 「どうしてここにいるんだ。何をするつもりだ。ここはモスクだぞ」

 大通りに面した正門から入ってきた男に最初に対峙(たいじ)したのは、モハメド・ジャマさん(62)だった。「私はここに立っていたんだ」。3月13日、事件から1年を前に事件現場のヌールモスクを再訪した私に、ジャマさんが説明した。

 あの日の午後1時40分すぎ。午後2時からの金曜日の礼拝を前に、数百人の人々が集まっていた。

 男は何も言わずにジャマさんの前を通り過ぎ、数メートルのところで、いきなりモスクの中に向かって乱射を始めた。驚いたジャマさんはその場で転倒。あわてて外に逃げた。

 男はその後、5キロほど離れたリンウッドモスクにも車で移動して乱射した。白人至上主義者によって計51人が犠牲になった悲劇が始まった瞬間だった。

 ヌールモスクの前には、1年たっても、花が絶えない。

 敷地内の仮設の小屋には、国内外から送られた励ましのメッセージや品々を展示している。「あなた方の痛みを共有します」。日本の中高生らが贈った手紙や、折り鶴もある。

 「毎日、たくさんの花がモスクの前に届いた。イスラム教徒でない人も、仏教徒キリスト教徒も、地域の人たちのサポートを感じられた。本当に感謝したい」とジャマさん。22年前にソマリアからの難民としてやってきて、今は地元のイスラム教徒団体の会長だ。リーダーらしい言葉だったが、ジャマさんの1年はどうなったのだろう。

 実はモスクで転倒したときに、左脚のひざの近くを骨折していたという。けがはほどなく治ったが、強いストレスを感じて、昨年の4月から7月まで母国やイスラム教の聖地メッカ、ドバイを旅したことが、精神的に立ち戻る助けになったという。事件から9カ月後、元の職場の食肉工場に復帰した。

壁乗り越え生還、一変した人生観

 事件が起こったとき、ヌールモスクの中にいた一人が、アブドゥル・アワルさん(27)だ。3月12日の日没後の礼拝後、この1年を「まばたきする時間くらい、とても早かった」と振り返った。

 あのとき、大きな銃撃音が突然、響くなか、「誰が侵入して、何人が撃っているのかわからなかったが、とにかく逃げた」。内部のドアから外に出て、壁を乗り越えて敷地の外に飛び降りたとき、首と胸をけがした。

 翌日、友人に病院に連れて行…

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