北関東ヤンキーの影に「風車の弥七」 ゆかりの地?探る

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重政紀元
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 茨城県で連想するテレビドラマは? という問いに「水戸黄門」を挙げる人は多いと思う。ご存じ水戸光圀が全国にはびこる悪を懲らしめる架空の時代劇だが、偶然車で通りかかった常陸大宮市の山間部で「風車(かざぐるま)の弥七の墓」という案内看板を見かけた。弥七って、実在した?

 「風車の弥七」は水戸黄門の初回放送から登場する名脇役。渡世人風の格好をした元義賊の忍者で、光圀一行を離れて見守り、一行のピンチにはトレードマークの赤い風車を武器に戦うという役回りだ。そんな人物がいたとは思えないのだが……。

 現地を訪れると、僧として墓を守っているという男性(70)が案内してくれた。県道から一歩入った斜面にある墓石には、読みとれないが、「帰真禅山崇心墓」の文字と、没年(元禄11年=1698年)が刻まれているという。

 墓の主は、松之草村小八兵衛。水戸藩の学者がまとめた「桃蹊雑話」には、一昼夜に120キロを走る盗賊で「光圀が間者(スパイ)として雇った」という記述がある。明治~大正期に郷土史家が小八兵衛の墓と確認し、その子孫で地元の中学校長などを務めた故会沢淳さんがテレビ放送後、「両者の経歴が似ている」と唱えたことが同一人説につながった。

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 だが、この説は残念ながら間…

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