ブームでは終わらんよ 苦境のたび復活、ガンプラ40年

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太田啓之
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 「機動戦士ガンダム」シリーズに登場するモビルスーツ(MS)を模型化し続け、今年で40周年を迎えた「ガンプラ」。しかし、おもちゃやプラモデルの売れ行きは、消費者の嗜好(しこう)の変化に左右される「水もの」の傾向が特に強い。ガンプラも1980年代初頭の爆発的なブーム時には、「いつかは終わる」という見方がほとんどだった。それがなぜ、現在でも毎月新製品が発売される活況を呈しているのか。

 実は何度も「存亡の危機」に立たされ、そのつど逆境を乗り越えてきた。ガンプラを支え続けてきた人々の証言を通じて、苦闘の歴史をたどった。(文中敬称略)

「いつかは終わる」と思っていた

 ガンプラの歴史は、最初から平坦(へいたん)ではなかった。テレビアニメ「機動戦士ガンダム」が初放映された1979年。ガンプラを製造販売する「バンダイスピリッツホビー事業部」のルーツである「バンダイ模型」は、ガンダムの商品化のライセンスを持っていなかった。猪俣謙次・加藤智著「ガンプラ開発戦記」によれば、同社技術部次長で後にガンダムの製作会社「サンライズ」の取締役となる松本悟が、ユーザーからの「ガンダムをプラモデル化して欲しい」という切実な投書を数多く受け取ったことが、商品化のきっかけの一つだったという。

 代理店「創通エージェンシー」(現・創通)との契約にこぎつけ、最初のガンプラ「1/144 機動戦士ガンダム」を発売したのは80年7月。すでに、ガンダムのテレビ放映は終了していた。商品の出足はにぶく、売れ行きがようやく加速したのは、再放映などでガンダムが広く浸透し始めた81年の年明け以降だった。

 いったんブームに火がつくと、今度は生産がまったく追いつかず、出荷と同時に完売という状態が続いた。「メーカーが品薄感をあおるために生産調整をしている」という疑惑まで浮上し、社会問題化。82年には大型小売店のガンプラ売り場に殺到した子どもらがエスカレーターで将棋倒しになる、という騒ぎまで起きた。

 ブームのさなか、ガンプラの人気モデラーとして模型雑誌などで活躍し、大学卒業後にバンダイ(当時)に入社。多くのガンプラ開発を手がけてきた川口克己(59)=現バンダイスピリッツホビー事業部 ダイレクト販売チーム シニアアドバイザー=は当時のブームの理由をこう分析する。

 「ガンダムという作品自体の魅力に負っている面が大きい。それに加え、ガンプラは商品単価が300円からと、当時としても安かった。子どもにとっては買いやすいし、大人にとっては、自分好みに改造しようとして壊してしまっても買い直せる。それに、自分の手でプラモデルを作ることを通じて、ガンダムという作品への思い入れも強くなる。プラモデルという商品形態は、作品世界をより深く味わう上でも適していたと思う」

 その一方で、川口はこう振り返る。「僕自身、ガンプラブームの中で充実感を味わいつつも、『いつかは終わるだろう』と思っていました」

映像から解き放たれたガンプラ「MSV」

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 なぜ、ガンプラは終わらなか…

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