年少兵 担任が勝手に出願 語り継ぐ戦争

有料記事空襲1945

伊藤智章
【動画】語り継ぐ 13歳で特別年少兵を受験した福田静夫さん=伊藤智章撮影
[PR]

福田静夫さん(88) 岐阜県多治見市

 岐阜県で生まれ、名古屋市北区で育った。横着坊主だった。ゴミ焼き場で金属片をあさって売り、おでんやお好み焼きを買って食べた。1942(昭和17)年4月、最初に本土が襲われたドーリットル空襲も、戸外でチャンバラごっこしていて目撃した。

 大杉国民学校高等科1年だった1944年、勤労動員が始まり、鈴鹿海軍工廠(こうしょう)の下請け工場などで働いた。工員が遊郭に行ったり、「いやじゃありませんか、海軍は」と軍をからかう鼻歌を歌ったりしていた。僕はいまの旭丘高校近くの剣道の道場にも通っていた。

 強烈な思い出がある。級長だった朝鮮人に向かい、担任が「日韓併合から、我々の道は誤ったのかもしれないな」と漏らした。どういう話の流れなのか記憶にないが、戦争の先行きが怪しくなっていたころ。何かおかしいと、胸に引っかかった。

ここから続き

 45年3月19日の名古屋空…

この記事は有料記事です。残り1019文字有料会員になると続きをお読みいただけます。

【お得なキャンペーン中】有料記事読み放題!スタンダードコースが今なら2カ月間月額100円!詳しくはこちら

空襲1945

空襲1945

あのとき、日本中が戦場だった。東京・大阪・福岡など各地の写真300枚や映像、データマップで惨禍を伝えます。[もっと見る]