マスク姿の追悼式、手は消毒 大震災9年、この日の動き

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 死者・行方不明者、関連死を含め2万2167人が犠牲となった東日本大震災から11日で9年。国が定めた「復興・創生期間」が最後の1年を迎える一方、復興はまだ途上にあります。新型コロナウイルスの感染拡大で、今年は政府主催の追悼式は中止となり、多くの被災自治体も主催する追悼式の中止や縮小を決めています。各地の一日の動きをタイムライン形式で伝えます。

6:30 @仙台市若林区

「年々、寂しさが募ってくる」

 仙台市若林区荒浜を大学敏彦さん(65)が訪れ、震災遺構となった地区の「住宅基礎」を歩いて回った。妻真知子さん(当時59)のほか両親、兄、おいを亡くした。今は若林区内の一戸建てに一人暮らし。「年々、寂しさが募ってくる。これからどうしようかなって」

 市主催の追悼式にも出席する。今年は献花だけになったことに残念な思いがする。市長らが犠牲者にどう向き合おうとしているのかがうかがえるからだ。「市長や来賓の人たちがどんなことしゃべるのかが楽しみだった。でも今回はしょうがない」

7:00 @仙台市若林区

慰霊塔前で読経

 仙台市若林区荒浜の慰霊塔前で、市内の僧侶大滝周倫さん(30)が読経。「多くの方が亡くなった場所で、お経の響きを届けたかった。祈ることしかできないが、亡くなった方々に安らかになってもらいたい」

7:20 @仙台市若林区の海岸

男女5人がビーチテニス

 津波で被害が出た仙台市若林区荒浜の海岸では5人の男女がビーチテニスをしていた。

 その一人、鹿嶋寛英さん(51)は、犠牲者らに「また元気な砂浜にしていきますから、見守っていてください」と思いを込めた。

 宮城県東松島市で育ち、海は身近な遊び場で、一番居心地がいい場所だ。だが震災後、その海からみんなの足が遠ざかった。気軽に楽しめるビーチテニスの存在を知り、2017年に「ビーチテニスクラブ東北」を作った。荒浜や東松島などで活動している。

 この日は、午前6時前にメンバーで集まり、日の出に合わせて海に向かって黙禱(もくとう)した。「津波で多くの人がここで亡くなったことを忘れてはいけない。そして、海は楽しいところだと、若い人や子どもたちに伝えたい。僕らが活動するここで、追悼するのが一番いいと思った」

7:25 @仙台市若林区

手合わせ「昔に戻りたい」

 仙台市若林区荒浜で、震災当時近くに住んでいた佐藤長宏さん(67)が手を合わせた。自宅は流され、近所にいた親戚の佐藤睦子さん(当時73)が亡くなった。「全部なくなってしまった。昔に戻りたい。ここに来るとつらいが、ほっとする気持ちもある」。市内に自宅を再建し、妻と暮らす。でも、「気持ちが前に進まない。一区切りつけたいと思って、ここで祈った」と話す。

7:30 @岩手県大槌町の旧庁舎跡地

町長「個人の意思による追悼」

 津波の直撃を受け、多くの職員が亡くなった岩手県大槌町の旧庁舎跡地に平野公三町長が訪れて、40秒間黙禱(もくとう)した。

 旧庁舎は震災遺構として残すべきだとの声もあったが、町の方針で昨春までに解体された。更地に立った平野町長は「きょうは特別な日。建物はなくても場所への思いがある」。大槌では新型コロナウイルス感染拡大で追悼式の延期が決まっており、「個人の意思による追悼」という。

7:40 @岩手県大槌町の旧庁舎跡地

庁舎解体、祈りの場所探しあぐね

 岩手県大槌町の職員だった前川未知さん(当時32)が亡くなった役場跡地を訪れた父昭七さん(67)は「(つらいから)俺は来たくなかったんだけど、かあちゃんが……どうしても行ぐって聞かねえもんだから」。母良子さん(67)は花束を置き、安置されている地蔵の頭をなでながら「庁舎が解体されてしまって……」と祈りの場所を探しあぐねていた。

9:15 @宮城県気仙沼市の小泉海岸

「辺りがどう変わろうと、あなたを忘れない」

 宮城県気仙沼市本吉町にある小泉海岸で、地元の元消防士佐藤誠悦さん(67)は、津波で失った妻厚子さん(当時58)に手を合わせた。

 厚子さんが見つかった場所は昨夏、防潮堤の背後にできた駐車場になった。約14メートルもの盛り土の下に埋もれている。昨年は工事中で、少し離れた高台から、妻に思いをはせた。

 毎年この日に発見場所へと足を運び、花束と線香を供えて冥福を祈ってきた。この9年で風景は一変した。しかし、佐藤さんは「辺りがどう変わろうと、『あなた(厚子さん)を忘れない』という思いは変わらない」。

9:20 @仙台市宮城野区

息子2人失い、自ら建てた観音像

 仙台市宮城野区蒲生で息子の舟一さん(当時20)と要司さん(同19)を亡くした笹谷由夫さん(73)はこの日も蒲生にやって来た。息子らを含め一族6人が犠牲に。午前9時20分、自ら建てた観音像に手を合わせた。兄弟の字をとり「舟要観音」と名付けているが、「息子たちだけじゃなく、震災で亡くなったすべての人のことを祈った」。

 集落が流されてなくなった蒲生で、鎮魂の場にしたいと小屋と観音像をつくった。通って祈るのが日課だ。市の追悼式には2回出席したことがあるが、「偉い人があいさつをするだけの儀式」だと思った。その式も今年はとりやめに。「追悼は、自分を納得させられる形でやればいい。きょうが特別な日というわけでもない」と言う。

9:30 @岩手県釜石市「釜石祈りのパーク」

市長ら市幹部が花

 約1千人が犠牲になった岩手県釜石市にある「釜石祈りのパーク」で、野田武則市長ら市幹部が花を供えて手を合わせた。

 多くの犠牲を出した鵜住居(うのすまい)地区防災センターの跡地に昨春に完成した追悼施設で、半円状の壁には1001人の犠牲者名が並ぶ。50音順に並べていた名札は今回、家族単位に並べ替えられた。

 野田市長は「ここは悲しみの詰まった場所。去年は大雨、今年は強風と、亡くなった方が何かを訴えかけているようだ。その思いを受け止めていかなければならない」と語った。市長らは、近くの寺境内に置いてきた仮設の慰霊施設でも祈りを捧げた。祈りのパークができたことで、この慰霊施設は役目を終え、近く解体される予定だ。

9日に事前収録

小泉環境相、職員に「いいたいのは一つ」

 東日本大震災から9年の11日、小泉進次郎環境相兼原子力防災担当相は、職員に向けた事前収録のメッセージを省内のネット上に公開した。環境省職員には、「私が皆さんにいいたいのは一つだけ。復興庁の職員、復興担当の職員という気持ちで、どんなに小さいことでも構わないから何ができるかを考えながら、福島のために仕事をしていきましょう」などと述べた。

 原子力防災を担当する内閣府の職員に対しては、「福島の教訓を忘れない、そういった思いのもとに、地域の自治体や地域の皆さんとともに、避難計画づくり、緊急時対応、これをつくりあげていくことを忘れずに取り組んでいきましょう」と呼びかけた。

 メッセージは新型コロナウイルス対策として対面で伝えることを避け、9日に大臣室で事前に収録した。

10:00 @岩手県大槌町の旧庁舎跡地

「娘に手を合わせられるのはここしかない」

 岩手県大槌町の旧庁舎跡地では、職員だった長女裕香さん(当時26)を亡くした小笠原人志さん(67)と吉子さん(67)夫妻が手を合わせた。

 旧庁舎は昨春までに解体され、解体後の命日にこの場所を訪れるのはこの日が初めて。人志さんは「解体されてからは来る場所ではないと思っていたが、娘に手を合わせられるのはここしかない」と、芝生が茂る跡地を静かに見つめた。

10:00 @福島県浪江町の町営大平山霊園

「母子像」の除幕式

 太平洋を見下ろす福島県浪江町の町営大平山霊園で、犠牲者を追悼する「母子像」の除幕式があった。町では関連死を含め620人が亡くなった。

 披露されたのは、幼い子どもを抱く母をモチーフにした高さ2・4メートルのブロンズ製の像。東京電力福島第一原発事故の避難指示で全町避難した際、町が仮役場を置いた同県二本松市の名誉市民で、彫刻家の橋本堅太郎さん(89)が製作した。台座の裏には「深い悲しみを負った浪江の皆さんの心にも いつの日か花ひらく日が来ることを念じて」と刻まれている。

 避難する隣の南相馬市から霊園を訪れた吉崎良美さん(72)は「3月11日は町民にとって大切な日。鎮魂の像はみんなを元気付けてくれる」と話した。

10:25 @岩手県釜石市の大平墓地公園

震災物故者納骨堂で焼香

 身元不明遺骨9柱が安置されている岩手県釜石市の大平墓地公園。野田武則市長ら市関係者約50人が震災物故者納骨堂を訪れ、焼香した。

 遺骨を無宗教形式で追悼してきた釜石仏教会の芝崎惠応住職は「帰りたくても帰れない、つらい思いで9年間を過ごしてきた方々がここにおられる。時間があるときに、ここに来て家族の代わりに祈ってほしい」と話した。

10:30 @宮城県女川町の慰霊碑

前日に送別会をした同僚はどこに

 宮城県女川町の慰霊碑に家族4人で訪れていた同県石巻市の40代の男性会社員は、手を合わせると涙を拭った。

 震災当時は女川町で働いており、前日に送別会をした会社の同僚はまだ見つかっていない人もいる。今年は追悼式が中止になるなど、時間とともに追悼する場が減っていくと感じる。「思いの強さ、弱さはあっていいと思う。けれども、一人ひとりの心の中で震災と向き合う日であることは変わってほしくない」

10:30 @福島県浪江町の海岸

県警と消防の55人、捜索開始

 福島県浪江町棚塩の海岸では、県警と消防の55人が行方不明者の手がかりを求めて捜索を始めた。県内では11日時点で196人が行方不明となっている。

 警察官らは黙禱(もくとう)を捧げた後、流木が積み上がった砂浜を掘り返すなどして捜索した。この日、福島県の沿岸部では15カ所で約250人が特別捜索にあたっている。

10:30 @岩手県山田町

朝から海岸で捜索活動

 震災でいまだ1112人の行方が分かっていない岩手県。うち、145人が行方不明となっている山田町では、岩手県警宮古署と海上保安庁の職員らが朝から海岸で捜索活動をした。

 同町船越の小谷鳥海岸で、宮古署員と海上保安官ら約30人が海に向かって黙禱(もくとう)をした後、捜索を開始。2班に分かれて、レーキを使って海岸の砂や石を掘り起こしながら、行方不明者の手がかりを捜した。

 捜索に参加した宮古署地域課の藤沢貴幸巡査(20)は「犠牲者を弔いながら、一人でも多くの行方不明者の手がかりを見つけ、家族のもとに届けたい」と話した。

10:45 @仙台市若林区

妻子亡くし命絶った長男に「元気でいるから」

 仙台市若林区荒浜を農業山田正二さん(73)とひで子さん(70)夫妻が訪れ、手を合わせた。津波で長男真さんの妻久恵さん(当時35)と孫の友太郎君(同4)、純之介君(同3)を亡くした。その1年後の4月10日、後を追うように真さん(当時37)は自ら命を絶った。

 夫妻のもとには、市から追悼式の案内が来るが参加を断っている。「地元の、真たちのゆかりがある場所にいたいから。式典がなくても、特に何も思わない」。ひで子さんは毎朝、仏壇にごはんを供える際に真さんらに語りかけ、4人を思い出さない日はない。「元気でいるからね。見ててね」。心の中でそう呼びかけた。

11:00 @福島市の復興公営住宅

行き場なくした花、被災者に

 福島市の復興公営住宅では、被災者に花束が配られた。新型コロナウイルスの感染拡大の防止のため、各地で追悼式が縮小や中止となり、行き場をなくしたものだ。企画した地元の花屋「花の店サトウ」の佐藤純男さんは「花には人を前を向かせる力がある。少しでも明るくなってほしい」と話した。

11:15 @岩手県山田町の海蔵寺墓園

母と祖母の墓に「こんなに大きくなりました」

 岩手県山田町船越の海蔵寺の墓園。織笠武紀さん(37)は、新型コロナウイルス感染の拡大で小学校が臨時休校になった長男の怜くん(9)と次女の姫馴(ひな)さん(7)と一緒に母と祖母の墓参りをした。震災当時、怜くんは生後3カ月。「こんなに大きくなりましたよ」と伝えた。

 医療事務として働く女性(57)は母の墓に花を供えた。昨日は当時働いていた県立大槌病院での被災や亡くした家族の話を同僚とし涙した。「何年たっても震災のことは忘れられない」

11:18 @首相官邸

菅官房長官「復興は総仕上げの段階」

 菅義偉官房長官が首相官邸で定例の記者会見を開いた。東日本大震災の発災から9年を迎え、「地震や津波の被害を受けた地域では、住まいの再建や町づくりをおおむね完了し、産業や企業の再生も順調に進展するなど、復興は総仕上げの段階に入っていると思っている」と述べた。

 一方で、「被災者の心のケアや、避難生活を送られている方々の相談対応などの被害者支援、原子力災害被災地域の本格的な復興再生など、今後も課題が残されていると認識している」とも話した。

11:20 @宮城県南三陸町の戸倉公民館

金子飛鳥さんが新曲録音・録画

 宮城県南三陸町にある、がらんとした戸倉公民館に柔らかなバイオリンの調べが流れ始めた。米国在住のバイオリニスト、金子飛鳥さんがこの日のために作った新曲「神話の時間」の初披露だ。

 新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、予定していた「鎮魂の祈り」コンサートを取りやめた。代わりに金子さんらの演奏の録音、録画に切り替えた。後日、ネットで公開することを検討している。

 窓からは巨大な津波が押し寄せた志津川湾を望むことができる。津波は、町立戸倉中が当時あった標高約18メートルの高台まで駆け上った。その校舎を改修してできたのがこの公民館だ。

 「命の輝きを取り戻してもらえるよう、音で伝えたい」。金子さんの祈りだ。

11:30 @仙台市宮城野区の防潮堤

兄夫妻に「会いに来ました」

 仙台市宮城野区蒲生の防潮堤の上で、松崎裕子(ひろこ)さん(70)=同市泉区=は、生まれ育った場所のあたりをみやった。犠牲になった兄の片桐喜一さん、輝子さん夫妻に「会いに来ました」という。造成工事や新しい防潮堤で風景は一変したが、遠足に行った日和山は残っていて、「懐かしい」と声を上げた。

 「津波のことを忘れないということに、尽きる。大自然の中で私たちは生きているんだということを、子どもや孫に語り聞かせ、残していかなければ」。それが追悼の意味だと話した。

11:30 @宮城県山元町の旧山下駅前

教え子4人の墓を訪ねて

 宮城県山元町の「やまもと語りべの会」会長渡辺修次さん(68)は、町立山下中学校の校長時代に生徒を失った。9日には犠牲になった教え子4人の墓を訪ねて手を合わせていた。一人は震災当日に卒業式を終えたばかりだった。

 そして11日、慰霊碑が立つ町内の旧山下駅前に妻とともに参った。「今日は教え子らの命日です。何もしないで、子どもたちのことを考え、過ごします。同じことが繰り返されないように」。そう祈った。

11:30 @岩手県釜石市

消防団の夫に献花

 岩手県釜石市で地震直後、防潮堤の水門の確認中や住民の避難誘導の際に津波にのまれて殉職した市消防団員8人の顕彰碑前で献花式が行われた。

 副団長だった福永勝雄さん(当時66)を亡くした妻の安子さん(70)は「夫が法被を着て飛び出していた姿がついこの間のように思い出されるが、孫の成長を見ると9年経ったんだと実感する」。勝雄さんの遺体は2カ月後に市内で見つかったが、「まだ家族が行方不明のままの方もたくさんおられる」と気遣いつつ、「夫は生前、若者に消防団員のなり手が少ないことを心配していた。孫の世代に教訓を伝えながら、消防団加入も呼びかけたい」と話した。

11:38 @福岡市中央区の警固公園

卒業旅行の学生も献花台に

 福岡市中央区の警固公園ではボランティア団体「夢サークル」が主催する「3・11追悼の集い」があり、訪れた人たちが献花台に手を合わせた。

 卒業旅行で福岡を訪れたという大阪府富田林市の大学生、常盤碧さん(22)は中学生のとき、岩手県奥州市で震災を経験した。自宅は天井に亀裂が入り、電気も止まった。家族でラジオを囲み、津波の情報を聞いていた。電気が復旧し、テレビに津波や原発事故の映像が流れているのを見て愕然(がくぜん)としたことを鮮明に覚えている。「9年が過ぎて記憶が薄れるのが怖い。亡くなった人や今も復興に向かっている人に向けて『忘れません』と伝えた」

12:10 @岩手県釜石市の市魚市場前

海に向かって読経

 釜石湾を望む岩手県釜石市の市魚市場前では、不動寺住職補佐の森脇妙紀(みょうき)さん(57)が海に向かって読経した。

 森脇さんは2013年11月から、月命日に必ず市内で「歩き供養」を続けている。まちを歩くと、遺族が駆け寄ってきて思いを打ち明けたり、生活の悩みを話したりするという。「記憶は薄れていくもの。私が歩くことで思い出し、今まで話せなかったことも話して、それを伝えていく」

13:00 @岩手県大槌町の曹洞宗江岸寺

「何もなくなったお寺、ここまできた」

 震災で本堂が全壊した岩手県大槌町の曹洞宗江岸寺。震災から9年、本堂の再建に時間がかかり、この日やっと本尊の開眼供養に臨んだ。

 震災当時、住職だった父と後継ぎの長男を失った大萱生(おおがゆう)良寛(りょうかん)住職(61)は「一度は何もなくなったお寺がここまできた」と感慨深げに話した。

 犠牲者を悼む法要もあり、遺族ら50人が手を合わせた。母親を失った50代の女性は「津波が来る前に戻ってほしい」と声を詰まらせた。

13:05 @仙台市宮城野区

津波対策研究の学生が献花会場に

 神戸学院大学2年の緒方慶一さん(20)は、仙台市宮城野区に市が設けた献花会場を訪れた。東日本大震災が起きた時は小学生だったが、「津波の映像を見て衝撃を受けた」。いつか被災地に行きたいと思っていて、初めて仙台を訪れたという。

 大学では社会防災学科で津波対策の研究をしており、将来はレスキュー隊員をめざしている。献花して「同じことを繰り返さないことが、今生きている人の役目なのかな」と感じた。「これからも、いつかは震災が起きると思う。被災者や、その家族の心も助けられるレスキュー隊員になりたい」。沿岸部で地元の人たちに話を聞きたいと言って会場をあとにした。

13:20 @仙台市若林区の荒浜海岸

幸せを天まで届けるたこあげ

 仙台市太白区の菊地勝美さん(79)は、幸せを届けるという黄色いポストのたこを仙台市若林区の荒浜海岸で揚げた。2012年から毎年、3月11日前後の晴れた日にたこを揚げているという。

 9年前の震災で、福島県南相馬市に住んでいためいをはじめ10人近くの親戚を失った。「震災で亡くなった方全員に隔てなく、幸せを天まで届けたい」。自分の体が動く間は、ずっと続けるという。

14:00

原子力規制委員長が訓示

 原子力規制委員会では更田豊志委員長が、東京都内の庁舎で職員に向けて訓示した。

 規制委は東京電力福島第一原発事故をきっかけにできた組織。更田委員長は「あのような事故は二度と起こさないという決意のもと、安全対策の継続的改善に取り組んでいる。事故の反省と教訓は原点であり、初心を忘れないことがいかに重要かは論をまたない」と語りかけた。

 福島第一原発にたまる処理済み汚染水の処分について、「希釈して海洋放出を早期に行うべき」とする見解をあらためて示し、「風評で生じる被害を小さくする努力を尽くしていきたい」と強調した。

 訓示は毎年、年初ではなく3月11日にする。例年は数百人の職員が広い会議室に集まるが、今年は新型コロナウイルスの感染拡大で、各部屋でインターネット中継を視聴した。

14:00 @仙台市宮城野区

初めて追悼の会場へ

 仙台市宮城野区の紺野徳子さん(73)は市が設けた献花会場を訪れた。岩手県陸前高田市の実家にいた兄夫婦とおいっ子を亡くし、宮城県気仙沼市の自宅も失った。今は宮城野区の息子の家で暮らしている。追悼の会場を訪れたのは初めてという。

 震災を思い出すと、気持ちが動揺するし、フラッシュバックするようだった。被災したことを仲間に話せるようになったのは、最近のことだ。「少し気持ちが落ち着いてきた。来年で10年になる。足を向けてみようと思った」。献花の際には「生かされたよ。みんながんばっているよ」と思いを込めた。「気持ちを新たにしたい。でも忘れられないものです」

14:10 @宮城県亘理町の追悼献花場

花を買い求める人、今年は少なく

 宮城県亘理町の追悼献花場で、町議の小野明子さん(51)が献花した。町内で生花店を営んでおり、例年なら3月11日は花を買い求める客が多いが、今年は客足が少ないこともあって、初めて会場を訪れた。朝には墓参りをして、震災で犠牲になった親族5人の冥福を祈った。

 「式典で知り合いと顔を合わせることも、追悼としては大事な場だと思う。震災から10年で一つの区切りだが、その先も規模を縮小した形で亘理町では続けるべきではないか」と話す。

14:15 @日比谷公園

作家のいとうせいこうさんらが黙禱

 東京・日比谷公園では震災犠牲者らを追悼する音楽とトークイベント「ピース オン アース」に歌手の加藤登紀子さんや作家のいとうせいこうさんらが参加し、黙禱(もくとう)を捧げた。

 イベントは震災翌年の2012年に始まり、今年で9回目。多くの市民や歌手らの賛同を受け、続いてきた。

 会場に設けられた献花台に白い花を供えて手を合わせた、宮城県涌谷町出身で都内の会社員、佐々木教行さん(31)は「震災を忘れてはならない」という思いで足を運んだ。「まだ復興は終わっていない。一人でも多くの方が元の生活に戻れるようになってほしい」

14:15 @宮城県亘理町の追悼献花場

亡くなった9人に献花

 宮城県亘理町の追悼献花場では、町内会長でイチゴ農家の片岡義晴さん(71)がマスク姿で献花した。震災前の町内会には約100世帯が加入し、9人が亡くなった。「特に高齢の人が多くて、元気な姿が9年経っても思い浮かぶね」と目頭を押さえた。昨年は式典に参列したが、今年は献花だけになった。「追悼の形はいろいろあっていいと思う。震災を忘れず、記憶することが大事ではないか」

 片岡さんは自宅をリフォームし、イチゴのハウスも再建した。町内会主催の夏祭りでは、昨年から黙禱(もくとう)をやめた。「被災地でも地域差はあると思うが、うちの町内ではみんなの生活が落ち着いてきた。前を向いて生きていこうという意見が多く、反対の声はなかった」と話す。

14:30 @福島県葛尾村

iPadで遠隔の追悼式

 原発事故で全村避難した福島県葛尾村では、村立葛尾中学校の全校生徒8人がiPadを使った遠隔の追悼式に参加した。

 新型コロナウイルスの影響で臨時休校中のため、異例の形式となった。佐藤武校長はモニター越しに「命と知恵があれば必ず復興できる」と生徒たちに語りかけた。

14:30 @福島市

5人だけの追悼式

 福島県の追悼式が福島市で開かれた。例年ならば約400人が参加するが、新型コロナウイルスの感染拡大の防止のため、参列者を知事や遺族代表ら5人に限定して行われた。

 ほとんどが空席でガランとした会場。遺族代表の石井芳信さん(75)=川内村=はあいさつで「避難指示が解除されたが、村に戻らない選択をする人も多く、以前のような村の姿にはほど遠い」と述べた。

14:30 @鹿児島市

鹿児島からもメッセージ

 鹿児島市では、復興の願いを込めた歌を被災地に届けるイベント「ストリートピアノでつなぐ祈りのハーモニー」があった。実行委員会のメンバーらが祈りを込めて歌う様子や被災地からのメッセージをインターネットを使って動画配信した。

 鹿児島県内のまちおこしグループの呼びかけで始まり、今年で9回目。節目の日に街頭にピアノを置いて参加者で合唱する催しで、今年は12道府県26会場で予定したが、新型コロナウイルス対策のために会場での実施を断念。SNSやユーチューブによるネット配信に切り替えて実施した。

 大坪元気・実行委員長は「祈りの催しだけは途絶えさせたくないとの思いで、ネット配信にした。各地の災害被災者や新型コロナで苦しむ人への思いも込めました」と話した。

14:30 @宮城県東松島市

マスク姿、手は消毒

 宮城県内で唯一、自治体主催の追悼式が開かれた東松島市。会場の市民体育館入り口では、市職員が参列者に準備したマスクを手渡し、手を消毒するよう一人ひとりに促した。

 参列者が座るイスは、感染対策として左右50センチ、前後1メートルを空けて並べられた。来賓のあいさつをやめ、例年の半分程度の約30分に短縮した。

 渥美巌市長は式辞の中で「新型コロナウイルスの関係で中止、縮小のところもありますが、東松島市は、ご遺族への哀悼の気持ちとともに、震災を語り継ぐ。国会や霞が関で風化させないことが、被災自治体として大変重要であり、責務である」と、開催に踏み切った理由に触れた。

 夫を亡くした遺族代表の雫石かほるさん(71)は「今日で震災から丸9年たちました。各地で復興事業が進み、私の住む地区も住宅や施設が整備され、以前の生活に戻った感があります。一方、今も心に不安を抱えている方もおり、一日も早く落ち着いた生活ができることを祈るばかりです」と述べた。

 参列した遺族の和泉勝夫さん(75)は、野蒜(のびる)地区にあった自宅が被災し、妻と母親を亡くした。「追悼式は年に一度、亡くなった家族と向き合う大切な場。開催していただき、大変感謝している」と話した。

14:45 @首相官邸

安倍首相「切れ目のない支援を行う」

 安倍晋三首相が首相官邸で開かれた献花式に参列した。政府は、例年開いていた政府主催の追悼式を、新型コロナウイルスの感染拡大の影響で中止とし、代わりに小規模な献花式とした。

 首相は、被災地が「復興の総仕上げの段階に入っている」としたうえで、「今後も被災者の生活再建のステージに応じた切れ目のない支援を行う。原子力災害被災地域においては、帰還に向けた生活環境の整備や産業・生業の再生支援などを着実に進める」と述べ、改めて被災者の生活支援に取り組む姿勢を示した。

14:46 @仙台市宮城野区蒲生の海岸

「9年経っちゃったね」 一列で祈り

 仙台市宮城野区蒲生の海岸には午後2時46分、「ボーッ」という音が響いた。海岸を訪れた人たちは海に向かい、一列になって祈りを捧げた。「9年経っちゃったね」。犠牲になった両親を思った佐藤久美子さん(38)は、6月に第1子が誕生する予定だという。

14:46 @宮城県塩釜市にある塩釜神社

「なんで、こんなに穏やかな海が」

 宮城県塩釜市にある塩釜神社の海が見える境内には15人ほどが集まった。曇り空からときおり日差しが漏れるなか、市内全域にサイレンが鳴ると、いっせいに頭を下げて祈りを捧げた。父親を震災で亡くしたという市内の女性(36)は、毎年この境内から海を見ながら祈るという。

 「なんで、こんなに穏やかな海が、何万という人々の命を奪ったのか、毎年考えます」

14:46 @東京電力福島第一原発

「事故原因を天災と片付けてはならない」

 廃炉作業が続く東京電力福島第一原発の新事務本館では、東電幹部社員約40人が黙禱(もくとう)した。小早川智明社長は「私たちの3・11の反省と教訓は、事故原因を天災と片付けてはならないこと。事前の備えによって、防ぐべき事故を防げなかったことを真摯(しんし)に受け止めなければならない」と述べた。

 第一原発では津波で1~3号機の冷却ができなくなり、メルトダウンをおこした。

14:46 @宮城県女川町

会ったことのない祖母に祈る

 宮城県石巻市の高橋希空(そら)ちゃん(5)と空叶(くうと)君(4)は両親に連れられ、同県女川町の慰霊碑へ。祖母と「ぴーちゃん」(曽祖母)の名前を見つけると、白い花を手向けて手を合わせた。その様子を見守る父親の高橋亮輔さん(33)は「当時は奥さんとも出会ってなかったから、子どもたちとも会ったことがないんです」と話す。午後2時46分には、妻や子どもと一緒に手を合わせ、母と祖母に報告した。「こんなに大きくなったよ。元気でやっているよ」

14:46 @宮城県石巻市

「毎日心の中で泣いている」

 宮城県石巻市南浜町に震災後に建てられた「がんばろう!石巻」の看板そばでは、午前中から多くの人々が祈りに訪れ、献花台に花を供えた。午後2時46分、サイレンが響く中、集まった約400人が黙禱(もくとう)。その後、「追悼の思い」「過去」「未来」を象徴する3色の風船を一斉に空に放った。

 新型コロナウイルスの影響から、主催した市民有志「東日本大震災追悼3・11のつどい実行委員会」が会場に消毒用のアルコールを用意した。黒沢健一実行委員長(49)は、「どんなことがあってもご遺族にとっては命日。地元の住民が手作りで作った、思いを込める場を続けていきたい」と話した。

 仙台市太白区の氏家洋子さん(75)は、姉が美容院での仕事中に津波で流された。「9年経っても昨日のことのように思い出す。毎日心の中で泣いている」と涙をこぼした。

14:46 @東京・銀座の「和光」

銀座を行き交う人も足を止め

 東京・銀座の「和光」で、シンボルとなっている時計塔の鐘の音が11回鳴り響いた。交差点を行き交う買い物客が足を止め、手を合わせ、目を閉じた。東京都中央区の主婦中野寿美子さん(72)は「東北の人たちの傷は癒えていない。私たちにできるのは忘れないこと」と話した。

14:46 @宮城県名取市の伝承施設「閖上の記憶」

つどい中止でも集まる人々

 宮城県名取市の閖上中学校の犠牲者遺族らが中心になって毎年開いてきた追悼のつどいもとりやめになった。だが、遺族や中止を知らなかった人たち約100人ほどが伝承施設の「閖上の記憶」前に集まった。

 黙禱(もくとう)の後、例年より少ない数だったが、メッセージを書いた風船100個余りを、ちょうど虹がかかった空に飛ばした。

 2年生だった次男を亡くした大川ゆかりさん(52)は、毎年のつどいを「これまで支え合ってきた皆と同じ時間、場所を一緒にすることで、またがんばる気持ちになれた」ととらえてきた。ただ今回の中止は「しかたない」と話す。

 2年生の長女や妻ら家族4人を失った佐々木清和さん(53)は、「来られなかった人も、同じ空の下のどこかで、手を合わせてくれているでしょう」。その言葉どおり、黙禱の後、知人2人から「私も黙禱しましたよ」と、メールを受け取ったという。

14:46 @宮城県石巻市立大川小学校の被災校舎

校舎2階の教室へ

 児童や教職員計84人が津波の犠牲となった宮城県石巻市立大川小学校の被災校舎前では、毎年遺族が主催して開いていた追悼式は中止となったが、多くの遺族や関係者らが慰霊に訪れた。地震が発生した午後2時46分に防災無線が鳴り、集まった人たちは手を合わせて黙禱(もくとう)した。

 校庭で当時小学3年生だった長女を失った只野英昭さん(48)は校舎の2階の教室でその時間を迎えた。その後、津波が押し寄せたとされる午後3時37分に、多くの児童の遺体が見つかった裏山の斜面へと移動して再び手を合わせた。強風が吹きすさぶ中、子どもたちが校庭に待機していた約50分間を肌で感じ、「こんなに時間があったんだ」と改めて感じたという。

 遺族が起こした裁判は昨年、学校側の防災体制の不備が認められ、勝訴が確定した。只野さんは「やっと前に進めるようになったよ」と報告した。

14:46 @岩手県宮古市

今年は手をつながずに

 津波が防潮堤を超え180人余りが亡くなった岩手県宮古市の田老地区。新型コロナウイルスの影響で、今年の追悼行事では参加者同士が手をつながず、海に向かって祈りを捧げた。

 この日の参加者は100人ほど。呼びかけ人の大棒秀一さん(68)は「手をつながなくても心を一つにして復興へ向かおうという気持ちはみんな変わらない」と話した。

14:55 @宮城県南三陸町の総合体育館

追悼式中止で自由献花

 800人を超える犠牲者を出した宮城県南三陸町は追悼式を中止し、自由献花に切り替えた。町総合体育館で午後2時46分に黙禱(もくとう)を捧げ、献花を終えた佐藤仁町長は「追悼式をしようがしまいが、亡くなった方々への気持ちは変わらない。献花に訪れた町民は、お仕着せではなく、自らの思いをもって来ていただけたと思う」と述べた。

15:00 @宮城県女川町の震災遺構「旧女川交番」

横倒しの交番に「涙でてきた」

 2月末に完成した震災遺構の旧女川交番(宮城県女川町)には多くの人が訪れた。当時交番で勤務していた松田博さん(68)は、完成後、初めて交番を訪れた。横倒しになった交番を目の前にすると「つらいよ。涙がでてきたよ」。交番の中をのぞき込んで、使っていた執務机や電話を見つけ、勤務した日々を思い返した。

 多くの人が訪れるようになったかつての職場。津波の威力や恐ろしさを知ってもらうのはもちろん、訪れた人には、自分がこの場にいたらどう行動したのかを考えてほしいという。「自分の命は自分で守るしかないからさ」

15:00 @仙台市若林区荒浜の堤防

風船を一斉に空へ

 仙台市若林区荒浜の堤防に集まった人たちが、花の種が入った風船を一斉に空に放った。例年は、震災で閉校した近くの荒浜小学校での行事だが、今年は新型コロナウイルス対策のため、学校外になった。

 同市太白区から家族3人で訪れた会社員川田陽介さん(38)は、震災のボランティアを通してこの活動を知った。9年前の震災を「二度と起きてほしくないけど、人を助けるという経験ができた」と振り返る。「震災直後は、こうしてまたみんなで風船を飛ばせるまで復興すると思っていなかった。年に一度、荒浜に皆が集まるきっかけになっていると思う」と話した。

18:00 @福島県いわき市の平中央公園

ロウソクに願い、神戸から分灯

 福島県いわき市の平中央公園では東日本大震災と、昨年10月の台風による水害で亡くなった犠牲者を悼み、願いを書いたロウソクに火をともす「3・11希望の灯(あか)り」があった。橋本芳家・実行委員長は「災害に遭っても、助け合って、強い気持ちで生きていってほしい」。「希望の灯り」は、阪神・淡路大震災の犠牲者を悼んで神戸市にともされているものから分灯された。

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