原発事故後、被災地で続ける芝居 「悲しみ流す水路を」

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柳沼広幸
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 本屋を開いたのも、演劇を再開したのも、偶然と奇跡みたいな出会いがあったからだ。

 東京電力福島第一原発事故の数カ月後、柳美里さんは自宅のある神奈川県鎌倉市から、かつて母親らが暮らした福島県南相馬市に通うようになった。ツイッターでの相馬野馬追(のまおい)など南相馬の情報発信が、災害FM「南相馬ひばりエフエム」のディレクターの目に留まった。

絵画や小説、演劇などといったさまざまな創作、表現活動をする人たちも、東日本大震災の惨禍に衝撃を受けた。自身の活動の意味を問い、葛藤した。その後、生み出された作品にはどんな思いが込められているのか、表現者たちを訪ねた。

 出演を依頼され、翌年3月にパーソナリティーとなり、毎週金曜の夜、30分番組で家族や故郷をなくした人たちの話に耳を傾けた。2015年4月には移住。番組は6年続き、出演者は約600人になった。

 出演者に頼まれ、作文の添削で高校生と触れ合ったことを機に、若者の居場所作りとして、避難指示が解除された同市小高区に転居して自宅を改装し、18年4月に本屋「フルハウス」を開いた。

 すると、そこに来た県立ふたば未来学園高校(広野町)の演劇部長が「稽古を見て」と言う。披露された即興劇を見て手応えを感じた。教室を舞台に文芸部の活動とおしゃべりで進む、21歳の時に書いた戯曲「静物画」を復活させたいと思い、休止していた演劇ユニット「青春五月党」が23年ぶりに動き出した。

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 「静物画」には新たに出演す…

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