一度は「忘れられた」名探偵 世代を超えて刺さる金田一

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斉藤勝寿
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 金田一耕助が作品に初登場したのは終戦直後の1946年。昭和、平成、令和と、74年後の現代まで日本を代表する名探偵であり続ける。なぜ人々を引きつけ続けるのか。

疎開先の岡山に影響

 名探偵・金田一耕助は疎開先で誕生する。

 原作者の横溝正史は1945(昭和20)年春から約3年間、東京を離れ岡山県岡田村(現倉敷市)に疎開していた。終戦後まもなく発表したのが、金田一が初めて登場する『本陣殺人事件』だ。

 作品はこの地の影響を大きく受けている。事件の鍵として登場する琴の音色は、疎開宅に遊びにきていた復員学生から、旧制岡山一中で変事のたびに琴の音が鳴り渡ったという怪談を聞いて着想した。

 疎開宅は地元の人たちでつくる組合が管理、無料公開している。管理組合長の浅野昭江さん(75)は「横溝先生は地元に愛された。ここで生まれた金田一耕助ともども、地元の誇りです」。

 JR伯備線清音駅やモデルとなった旧家跡、疎開宅など『本陣殺人事件』ゆかりの場所を、ファンが金田一らのコスプレで歩くイベントも毎秋、開かれている。

 コース途中の「真備ふるさと歴史館」は横溝の書斎など関係資料を展示している。管理員で元新聞記者の山崎隆夫さん(70)は「横溝先生は地元での交友や散歩を通じてネタを仕込み小説に反映させた。『獄門島』も疎開宅で書かれ、小説と同じ名前の『千光寺』も地元にあって、住職から曹洞宗の知識を取材したようです」。

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 金田一のモデルについて、横…

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