虚像「さだまさし」の使いどきとは 避難所に起きた拍手

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石川雅彦
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 シンガー・ソングライターのさだまさしさん(67)は、東日本大震災の発生直後に宮城県石巻市で歌ってから9年近く、被災者とともに歩んできた。そのモチベーションを、「今が『さだまさし』という虚像の使いどきじゃん」と語る。自らの「利用価値」とまで言う、その真意を聞いた。

 あの日、さださんは東京の録音スタジオにいた。東京でさえこの揺れだ。ほかの街が震源なら、どれほどか。一瞬、想像して「ぞっとした」。2時間ほどして東北の津波の映像がテレビに映った。「音楽家は無力だなと思いました。現地で一番必要なのは、人間の手ですから、ロートルの僕は東京にいるしかなかった」

 5月1日。テレビのロケで被災地に入った。路地に車と船が折り重なり、臭いと、ほこりと、空気感と、人々の絶望感……。「原子爆弾が落ちて数カ月後の長崎の人も、こんな顔をしていたのかな」と思った。

 避難所となった寺院の境内で小一時間ほど歌った。関白宣言、無縁坂、雨やどり、秋桜(コスモス)。関白失脚が思いのほか受けた。子どもは、笑いながら「がんばれがんばれ」と歌うし、しばらくすると、大人もつられて、泣きながら「がんばれがんばれ」とついてくる。

 「こんなに喜んでくれるんだ」。歌い終わり、わき上がる拍手を聞きながら、不思議な気分でいた。

 歌手になってからずっと「平仮名の『さだまさし』は虚像」と思い続けてきた。なんで「さだまさし」になったのか。だれのためか。自分のためか。人のためか。お金のためか。

 その「さだまさし」が東北で歌うと、目の前の観客が身体を震わせ、涙を流し、「死」を咀嚼(そしゃく)し、「生」への希望を取り戻す。

 「驚きました。そして、いまが『さだまさし』という虚像の使いどきじゃん、と思ったわけです」

 さだまさしは、僕であって、僕のものではない。東日本大震災のさなか、いま使わなければいつ使うの――。「利用価値があるうちに、ということです」

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