拡大する写真・図版ホンダのロゴ=東京都江東区

 ホンダの技術開発の「総本山」として60年以上続いてきた「本田技術研究所」が、4月から大幅に縮小される。昨年ホンダ本体に統合された二輪開発部門に続き、四輪開発も4月に本体に移管され、研究所は先端開発に専念する。創業者の本田宗一郎氏が社長だった時代に設立され、本体の意向に左右されず独創的な技術を生み出してきた。そんな「ホンダらしさ」を象徴する組織を縮小するのはなぜか。

 本田技術研究所はホンダの子会社ではあるが、独立組織として車両の設計・開発を行い、その設計図をホンダに売り、ホンダは生産と販売を担っている。研究所は約1万3千人もの従業員を抱え、かつてはホンダ本体の社長は必ず研究所の社長経験者だった。

拡大する写真・図版本田技研工業(ホンダ)の社長時代の本田宗一郎氏=1973年

ユニークな組織体制のわけ

 技術部門の発言権の強さを示す、そんなユニークな組織体制ができたのは1960年。本田宗一郎氏の発案で、本体から研究開発部門を分離・独立させた。利益追求だけにとらわれず、独創的なアイデアを生み出すことが、その目的とされた。

 ホンダはその後、世界で初めて米国の環境規制をクリアしたCVCCエンジン(72年)、世界初のカーナビシステム(81年)、二足歩行ロボット「アシモ」(00年)、など革新的な新技術を生み出してきた。独創性の源とされた研究所は組織内で強い権限を持ち、かつてのホンダの歴代トップは、技術研究所の社長を経験したうえで、本体の社長に就くのが慣例だった。

拡大する写真・図版「CVCCエンジン」を搭載したホンダのシビック(1975年製)

 しかし、ホンダはグローバル企業として巨大化し、宗一郎氏の時代とは比較にならない規模に成長。そして、ユニークな組織であるがゆえのひずみも生まれた。

 研究所ができた時は、まだホン…

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