島根)「山陰の麒麟児」出番は? 光秀と接点の山中鹿介

有料記事

小西孝司
[PR]

 日本史上最大の謎のひとつ「本能寺の変」を起こした明智光秀が主人公のNHK大河ドラマ「麒麟(きりん)がくる」。「麒麟」で思い起こすのは、「山陰の麒麟児」の異名を持つ山中鹿介(しかのすけ)(幸盛)だ。主家尼子氏の再興を期して毛利氏と戦い続け、「願わくば我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈った逸話で知られる。

 松江歴史館館長の藤岡大拙さんの著書『山中鹿介』(ハーベスト出版)によると、鹿介は織田信長に面会し、尼子再興の支援を要請。光秀のもとで丹波攻めに参加し、八木城(現・兵庫県養父(やぶ)市)や籾井城(同丹波篠山市)を攻めた(ちなみに丹波攻めは松江城を築いた堀尾吉晴も参加)。

 大和の松永久秀が信長に背いた際も光秀配下で片岡城(奈良県上牧(かんまき)町)を攻め、敵将と組み討って首級をあげた。この時、光秀は「なぜこんな若気の働きをされるのか。もっと我が身を大切にして国を治めることが肝要であろうに」と鹿介をいさめた逸話が残る。

ここから続き

 鹿介にゆかりの月山富田城跡…

この記事は有料記事です。残り399文字有料会員になると続きをお読みいただけます。

【お得なキャンペーン中】有料記事読み放題!スタンダードコースが今なら2カ月間月額100円!詳しくはこちら