悲劇の大川小、広めたのは僕か 「奇跡の少年」の葛藤

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山本逸生 川野由起
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 東日本大震災で児童ら84人が犠牲となった宮城県石巻市立大川小。そこで助かった「奇跡の少年」として、唯一あの日の体験を語ってきた只野哲也さん(20)はこの9年、葛藤と闘ってきた。大好きだった大川小に、自分が悲劇のイメージを広めているのではないか――。成人した今、自らのあり方を問い直している。

 1月12日、只野さんは石巻専修大であった成人式に参加した。はじめは乗り気ではなかった。行ってもマスコミに囲まれるだけ。でも周りから勧められ、行くことを決めた。震災時、小学5年生だった只野さんは今大学2年生。2歳下の妹未捺(みな)さん、母と祖父の家族3人を失った。

 本当なら一緒に成人式を迎えるはずだった同級生は、15人のうち6人が犠牲となった。成人式の日、震災前に学校の桜の前で撮った同級生との集合写真を胸にしのばせた。「一緒に参加した風になれるかなと思って」

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 震災後、初めて取材を受けたのは震災発生からまだ日も浅い頃だった。避難所で記者から声をかけられ、校舎の近くに移動し、体験をカメラの前で話した。その後も、新聞やテレビから依頼が殺到し、週に一度は取材に体験を語った。

背中を押してくれた先輩たち

 当時は取材を受けることの影響などわからなかった。町を歩くと、見知らぬ人から「大川小の子だよね」と声をかけられた。どこにいても、周りの視線が気になった。無意識にテレビに映る「只野哲也」を演じてしまい、友達と遊んでいてもどこか一歩引いてしまう自分がいやだった。

 中学生の時、シンポジウムで…

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