采配は理論派、でも実は「情」の人 野球愛したノムさん

有料記事野村克也

稲崎航一
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 野球を愛し、「理想があるからぼやく。ぼやかなくなったらお迎えや」と話していたノムさん。楽しみにしていた「ぼやき節」がもう、聞けなくなってしまった。

 選手としても、監督としても3千試合に出場した。日本プロ野球では空前絶後と言っていい。解説者としても超一流。ストライクゾーンを9分割した「ノムラスコープ」で配球の読みや投手、打者の心理を説き、ファンをうならせた。オフの間も野球に関する講演や本の執筆をこなした。

 「ID野球」「考える野球」を打ち出した素養は、少年時代からあった。京都・丹後地方の母子家庭に育ち、少年時代は新聞配達やアイスキャンディー売りをして家計を助けた。だけど、遊びたい盛り。「少しでも遊ぶ時間をひねり出そうと、早く終わる配達ルートを考えて工夫した。人が集まるところを調べて行って、アイスをできるだけ売ったよ」と笑って回想していた。

 貧困の中で育ち、峰山高時代も甲子園とは無縁。南海にはテスト入団。注目されないパ・リーグで選手生活を送った。そのコンプレックスを糧とした。2軍からはい上がり、戦後初の三冠王に。だが、同時期にセ・リーグで活躍していた巨人の長嶋茂雄王貞治に比べ、世間から注目されることは少なかった。

 「王や長嶋がヒマワリなら、おれはひっそりと日本海に咲く月見草」と名言を残す。だから、後年監督となると「おれは広報部長や」と進んでぼやき、時に人気球団や人気選手の悪口を言ってみせた。何とかマスコミに取り上げられようとのアピールだった。

 監督としては「適材適所」の采配が光った。データに基づく「ID」や相手の隙を突く「無形の力」。ヤクルトで3度日本一に輝き、弱小球団だった楽天をクライマックスシリーズ(CS)に導いた。監督最終年となった2009年のCS第1ステージ、ソフトバンク戦。力勝負に来たがる杉内俊哉の心理を読み、3本塁打を浴びせて完勝した。

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 理論派の一方で、実は「情」…

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