政府の「デフレ宣言」に揺れた日銀 09年後半の議事録

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湯地正裕
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 日本銀行は29日、2009年下半期(7~12月)の金融政策決定会合の議事録を公開した。前年のリーマン・ショックによる混乱が一段落するなか、政権交代民主党政権が誕生し、政府が物価が長期的に下落する「デフレ」を宣言。日銀への政治的な圧力が強まり、白川方明(まさあき)総裁(肩書はすべて当時)が協調を余儀なくされる経緯が浮き彫りになっている。その後、民主、自民の両政権に白川日銀が追い詰められていく転換期ともなった。

「議事録」からみえた「日銀と政治」

記者会見や議事要旨ではうかがい知れない、金融政策を巡る詳しい議論の過程がみえてくる日銀の「議事録」。今回の公表資料からは、リーマン・ショック後に景気が悪化する中、政権との距離に腐心する白川総裁らの姿が鮮明に浮かび上がる。(湯地正裕)

デフレの定義巡り激論

 菅直人副総理兼経済財政相が、日本経済が「デフレ」の状態に陥ったと宣言した09年11月20日。同じ日、日銀本店の政策委員会会議室の大円卓では、デフレの定義をめぐって激論が交わされていた。

 「デフレという言葉をあまり使わないために、結果として日銀はデフレに対して鈍い感覚しかもっていないのではないか、と思われているところがある」

 こう発言したのは日銀出身の山口広秀副総裁。政府と歩調を合わせ、「デフレ」という言葉を使った発信が必要と提案した。

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 当時、消費者物価指数(石油…

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