にせものの足、良き相棒に 怖い…けれど目指す4M超え

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高室杏子
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 「うわあ」「すごい」

 義足を右足につけて体育館を走ると、子どもたちから歓声が上がった。

 11月中旬、千葉県印西市の小学校であった講演会。走ったのは村上清加(さやか)さん(36)=印西市在住。東京パラリンピック走り幅跳びと100メートル(T63=義足)の出場を目指す選手だ。

 子どもたちはひざを曲げて義足をつけ、実際に体験した。「頑張れ」。ふらつきながら歩く子どもを、村上さんは支えながら声をかけた。

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 25歳だった2009年、通勤中に都内の駅で貧血を起こし、ホームから転落した。列車にひかれ、右足の太もも半分から下を切断した。

 病院のリハビリ室にある平行棒で手の力を使って立った時のことだ。鏡に映る姿を見て絶望し、泣き崩れた。「一生この姿で生きて行かなくちゃいけないんだ」。ひと月ほど家族以外の誰とも話さず、苦しみを内に秘めて過ごした。

 病院のベッドの上で思った。「このまま苦しんで一生を送るのは嫌だ」。義足について調べると、義足や義手を使う人が集まり、スポーツを楽しむクラブがあることを知った。

 入院から約半年後、松葉杖をつきながら見学に行った。そこには義足をつけて歩いたり走ったりする人たちの姿があった。「笑顔がまぶしくて、『頑張れば私も』と希望が生まれた」

 まず走れるようになるための練習を重ねた。その延長線で打ち込む競技として陸上を選んだ。事故から1年半で100メートルを走り切れるようになった。

 11年に大分県で開かれた大会。参加者は少なかったが、100メートルで2位に。「もっと速くなりたい」という思いが募った。

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 結婚し、18年5月に長女が誕生した。世界を広げてくれた陸上は、その後も大切な存在だ。

 東京パラリンピックに向け、特に力を入れるのは、出場の可能性がある走り幅跳び。出産後も3回記録を更新し、最高は3メートル88。目標は4メートル50だ。「メダル争いができる記録を目指して跳んでいる」

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 にせものの足――。つけた当…

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