1945年8月2日未明の富山大空襲の記憶を、移り住んだ神戸市で伝えてきた女性がいる。徳永幸子さん(81)。美術教師だった経験を生かし、忘れられない記憶を紙芝居にして、小学生たちに聞かせてきた。直接の戦争の経験を伝えられる「最後の世代」との思いが力になっている。

 45年8月、国民学校1年だった徳永さんは、富山市中心部で家族6人で暮らしていた。1日夜、空襲警報が鳴り、父親と祖父を自宅に残して母親らと4人で避難。警報が解除されてホッとしたのもつかの間、2日未明に空襲に遭った。近くの学校の運動場に三つあった防空壕(ごう)の一つの中へ。「バーン」という大きな音をはっきりと覚えている。朝、外に出ると他の二つの壕は跡形もなかった。「3分の1の確率で生き延びた」

 今月22日、神戸市東灘区の市立六甲アイランド小学校で、徳永さんは手作りの紙芝居を手に、3年生約40人に空襲について語った。児童の一人の奥野紘人君は「頑張って逃げ込んだ防空壕で死ぬんが『自分やったら』って思うと悲しい」と話した。

 徳永さんが紙芝居を始めたのは…

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