阪神・淡路大震災から今年で25年。あの時、がれきの山と焦げたにおいが漂う被災地で、発掘調査にあたった人々がいました。被災地で行われてきた調査の軌跡を紹介します。(渡義人、田中章博)
「埋蔵文化財の取り扱いをどうするか、教えて欲しい」
1995年1月17日に起きた阪神・淡路大震災の2日後の19日。兵庫県教育委員会の社会教育・文化財課の主査だった長谷川眞さん(64)は、電話で文化庁の担当者に問い合わせた。
文化財保護法では、遺跡があると推定される「埋蔵文化財包蔵地(ほうぞうち)」に建物を建設するなどで開発を行う場合、事前に地元の教育委員会への届け出が義務づけられている。開発で遺跡を傷つける恐れがあれば、工事を始める前に発掘調査をしなければいけないからだ。そのルールは、自然災害からの復旧や復興工事であっても例外ではなかった。
2日前に起きた大きな揺れで、県庁に近い神戸・三宮の市街地は一変していた。繁華街のビルは倒壊し、商店街のアーケードも崩落。オフィスビルのガラスの多くが割れ、歩道には破片が散乱していた。東灘区や長田区など神戸市内の広い範囲で多くの市民が亡くなり、住宅も失われ、学校の体育館などが避難所となり、多くの被災者であふれていた。
「こんなときに発掘調査なんてできるのか」。そんな声が長谷川さんの同僚たちからもあがっていた。長谷川さんも須磨区の自宅が被災し、19日になって初めて、歩いて県庁にたどりついていた。
電話口の後ろには上司も張り…
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