JAL破綻の真相③(最終回)
2010年1月19日。国内最大の航空会社だった日本航空は会社更生法の適用を申請し、経営破綻(はたん)した。
日本の運輸業界史に残る破綻劇は、終わりではなく、始まりだった。日航の株の価値はゼロになり、金融機関には5千億円を超える債権放棄(借金の棒引き)をお願いし、さらに3500億円の公的資金を投入しての経営再建。国民からは厳しい目線が注がれていた。
JAL破綻の真相① 飛行機が止まる
10年前の日本航空の破綻と再生のドラマを、関係者の証言でたどります
JAL破綻の真相② 極秘の倒産シナリオ
連載2回目では、決められない民主党政権でのドタバタ、そして「Xデー」までを描きます
「お前のせいで俺の株券は紙くずになったんや!」
国土交通相として破綻処理を主導した前原誠司は当時、こんな罵声を浴びせられたという。
日航には当然ながら「身を切る改革」の断行が求められた。
「希望退職に応じなければ…」
10年8月。人件費カットや路線の整理縮小、大型機材の退役といった大リストラを盛り込んだ「更生計画案」がまとまった。その柱の一つが、グループで抱えていた計4万8千人の人員を、3万2千人にしぼり込む大胆な人減らし計画だ。
日航が各職種に希望退職を募ったところ、パイロットと客室乗務員の退職希望者が想定を下回った。そこで検討されたのが、同意がなくても一方的に辞めさせる「整理解雇」だった。
当時58歳でパイロットでつくる労組の幹部だった山口宏弥は「おかしい」と感じていた。9月下旬以降の自分の勤務予定が白紙になっていたのだ。「まさか解雇はないだろう」と思っていたが、9月半ばのアムステルダム発成田便のフライトを最後に、仕事がなくなった。
恐れていた通告は11月半ば。
「希望退職に応じなければ、解雇だ」
その年の大みそかに日航はパ…
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