「にせ患者じゃない」 第2世代「誇張」と疑われる苦悩

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奥正光
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 「私は、にせ患者ではありません」「弱い立場の被害者を救ってください」

 1956(昭和31)年の公式確認から今年で64年となる水俣病の被害を訴えた訴訟が10日、福岡高裁で結審した。水俣病患者として認められていない原告たちは、意見陳述で終わりの見えぬ苦しみを訴えた。

 福岡高裁であったのは、未認定患者でつくる「水俣病被害者互助会」の8人が、胎児・小児期にメチル水銀の影響を受けて水俣病になったとして、国と熊本県、原因企業チッソに損害賠償を求めた訴訟の控訴審。今も全容が明らかになっていない水俣病の被害のとらえ方が主な争点だ。

 「被害を受けた私は国、県、チッソから冷たい目線で見られ、にせ患者の扱いを受けてきた。人に言えない屈辱、苦しみに耐えてきました。私は、にせ患者ではありません」

 意見陳述でそう訴えた原告団長の佐藤英樹さん(65)は54年12月、重症患者が多く確認された熊本県水俣市の茂道地区に生まれた。小学生時代は家の前に広がる海で釣りをし、潮がひくとビナ(貝)を食べて空腹をしのいだ。

 「母ちゃんは水俣病の劇症型でした。指も曲がり自由に行きたい所にも行けず、本当にかわいそうでした。思い出すと涙が……」

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 祖母と両親が認定患者。母は…

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