娘の死、夫婦が歩んだ25年 67歳、見えてきた到達点

阪神大震災25年「あの日まで あの日から」

 14歳の少女は恋をしていた。幸せな日常は、しかし、地震に奪われた。あの日を境に、建築士の父は勤務先を辞めて木造建築を学び直し、母は映画づくりに打ち込み、カメラを手に東北の被災地に向かった。両親が歩んだ25年とは――。

 好きな人がいた。

 2歳上。細身で飾り気のない、神戸の男の子。14歳の中北百合(ゆり)さんが彼に出会ったのは、両親の友人の集まりだった。

 彼も、彼の妹も、テニスをしていて意気投合し、すぐに仲良くなった。

 あの時の妹さんにまた会いたい。ある日、百合さんは母の富代さんにそんなお願いをした。「お兄さんはいいの?」。尋ねた母に、何でもないように答えた。「妹さんに、会いたいの」

 母が用意した「家族ノート」がある。父の幸(こう)さんは建築士。著名な建築家、安藤忠雄さんの事務所に勤める。多忙で留守が多く、伝えたいことがあればそれに書く。思春期に入ると事務連絡が増えた。

 年末はいつも、兵庫県西宮市の自宅近くにある夙川(しゅくがわ)公園で家族写真を撮る。父と母、中学2年生の百合さん、小学生の弟2人、新しく迎えたラブラドル犬のティナ。写真を印刷した1995年の年賀状は、あの男の子の家にも届いた。

 年が明け、3学期が始まるとすぐに訪れた連休。最終日の1月16日は外出の予定がなくなり、チーズケーキを焼いた。弟たちと食べようと冷蔵庫にしまった。

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 翌朝、木造2階建ての家は全…

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