「竹宮惠子であるしかない」(小原篤のアニマゲ丼)

有料記事小原篤のアニマゲ丼

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 「風と木の詩」(1976~84年)、「地球へ…」(77~80年)などで知られるマンガ家・竹宮惠子さんが京都市京都精華大学で、20年に及ぶ教員生活の締めくくりとして最終講義「扉はひらく いくたびも」を8日に行いましたので、取材してきました。

 1950年、徳島市生まれ。68年「週刊マーガレット」新人賞に「リンゴの扉」が佳作入選しプロデビュー。70年に徳島大学を中退し上京、萩尾望都さん、その知人の増山法恵さんと知り合い、東京都練馬区大泉にあった増山さんの実家前のアパートで萩尾さんと共同生活をスタート。この「大泉サロン」には「花の24年組」と後に呼ばれる少女マンガ家たちが集うことに。しかし長期のスランプに陥った竹宮さんは73年に共同生活に終止符を打ち、ついに76年、構想から7年を経て「風と木の詩」連載を開始。少年愛をテーマとした同作は深い人間ドラマとして高く評価され、その後のマンガに大きな影響を与えたのは皆様おなじみのこと。2000年からは京都精華大教授となり、マンガ学科から拡大改組されたマンガ学部で学部長、そして2014~18年には学長も務めました。

 では、創作と教育の両方にかけた思いを1975年発表の短編「扉はひらく いくたびも」のタイトルに託して語った最終講義、たっぷりとどうぞ。

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 「幼い頃から、開いたり閉じ…

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