「いずれ見えなくなる」と医師 母を追い詰めた目の難病

有料記事患者を生きる

松浦祐子
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【まとめて読む】患者を生きる・職場で「視覚障害」

 東京都の石原純子さん(53)は看護師の仕事をいったん辞め、2人の子育ての真っ最中だった38歳の頃、網膜色素変性症と診断されました。徐々に視野が欠けて見えない部分が多くなり、いずれは見えなくなる難病です。「何もできなくなる」と落ち込んだ時期もありました。

「いずれ失明」 復職は……

 何かちぐはぐなことが続いている。そう感じ始めたのは、30代後半の頃だった。次男の出産を機に看護師の仕事を辞め、男の子2人の子育ての真っ最中だった。

 夫の靴下の色の違いがわからない。濃いグレーと黒色のものを一対にしてしまい、夫に「なんで?」と言われた。道を歩いていてごみ箱につまずいたり、信号を見落としたりもした。

 それでも、目の病気とは思わなかった。そもそも、そそっかしい性格。指摘されて失敗に気づき、「やっちゃった」というぐらいに感じていた。「老眼かも」と眼鏡店で老眼用の眼鏡を買ったが、見え方は変わらなかった。

 「目がおかしい」と自覚したのは、2005年1月20日のことだった。朝起きると、目の前に黒い髪が何本も垂れ下がっているように見えた。手ではらいのけても、なくならない。看護学校で習った知識をたどり、網膜剝離(はくり)ではないかと、近くの眼科クリニックに駆け込んだ。

 目薬をさして眼底の状態を調べる検査などをした。「網膜剝離ではない」。医師からの言葉にほっとしたのもつかの間、続けてこう言われた。「ただ、正常な目の状態ではありません。別の難病の可能性があるので検査ができる病院へ行って下さい」

 翌日、急いで大学病院を受診…

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