箱根駅伝100年 戦火くぐり抜けつないだ歴史のたすき

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堀川貴弘
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 今年で創設100周年を迎えた箱根駅伝青山学院大が5度目の優勝を飾った。国学院大が初めて3位になったり、東京国際大と創価大が初シード権を得たりと新しい風も吹いた。

 前回の東京五輪の年(1964年)はどうだったかというと、中大が今でも連勝記録として残る6連覇を飾り、2位日大、3位国士舘大。3校とも今年はシード権を獲得できなかった。これも時代の流れか。

 箱根駅伝100年の歴史を見ると、戦時中の空白期が1941、42年、44~46年の5年ある。戦火の激しくなった43年(昭和18年)には「関東学徒鍛錬継走大会」と名称を変え、戦勝を祈願して靖国神社から箱根神社間を往復した。この大会は第22回大会として箱根駅伝に数えられている。

 ただ、箱根駅伝の回数には入っていないが、41年にも2度、関東の大学が集合して駅伝が実施されている。「青梅駅伝」と言われ、明治神宮外苑水泳場から青梅町(現東京都青梅市)にある熊野神社を折り返す8区間110キロを1日で争った。

 41年1月に開催された「青梅駅伝」には日大、東洋大、早大、青山学院大など13校が参加し、日大が優勝。学生の卒業期の繰り上げがあったため、同年11月30日に開催された大会にも12校が出場し、再び日大が勝った。大会の8日後、日本は真珠湾を攻撃する。

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 なぜ、青梅で開催されたのか…

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