床にウラン?極秘工場に潜入 先導役は素手、防護服なし

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ウクライナ中部カミャンスケ=松尾一郎
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 旧ソ連は核開発のための広大なネットワークを構築していた。冷戦終結30年、核の「負の遺産」をたどって取材を続けた。

 ロシアとベラルーシからウクライナを南北に横断する大河ドニエプル川の中流に広がる工業都市カミャンスケ。郊外を通る幹線道路の両脇には、数百メートルにわたって放射能を示す標識と柵が続いていた。

 道路がウラン残渣(ざんさ)の埋め立て地に挟まれているのだ。かつてはウラン残渣からの放射線を防ぐために、埋め立てた上に水を張って遊水池にしていた部分もある。この池周辺は憩いの場として、地元住民が泳いだり、バーベキューをしたりしていた、と、管理するウクライナ国営企業の放射線管理責任者タチアナ・ゲイダロワさん(52)は説明した。だが、「(1991年の)ソ連崩壊後に揚水設備が壊れ、関連設備も略奪され、干上がった」という。

 人が近づかないように放射能の標識や柵、警備所が設けられたのは近年といい、抜本的な対策のめどは立っていない。政府から十分な資金提供はないという。

 ウラン残渣は、カミャンスケの市街地に隣接した「プリドニプロフスキ化学工場」から出たものだ。原爆開発計画の一環の極秘工場として、48年に動き出した。

 その一つ52年に完成した「103号建物」の外見は事務所にも工場にも見える。ゲイダロワさんは「旧ソ連時代、隣の建物の人は中で何が行われているか知らなかった」と話した。

 建物の木製ドアの南京錠を外して中に入った。

記事後半では、ウランとみられる粉末が床に散らばっている極秘工場の内部の様子を動画で紹介しています。

 記者らは使い捨ての防護服と…

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