最後は要らない?「時をかける少女」(小原篤のアニマゲ丼)

有料記事小原篤のアニマゲ丼

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 細田守監督のアニメ「時をかける少女」(2006年公開)は、映画の始めと終わりに「時をかける少女」とタイトルが出ます。でも二つの意味は違っているのではないか。そのヒントは劇中にかかるバッハの「ゴールドベルク変奏曲」ではないか。そんなことを東京・渋谷のイメージフォーラム映像研究所「クリティカル・ライティング講座 “映画の見方”を考える」で講義してきました。あるカントクは「ラストの野球のシーンが要らない」と言ったがそれは妥当か?といった話もしました。ご興味ある方はお付き合い下さい。

 何度も映像化されてきた筒井康隆さんの同名小説を基に、原作の主人公の姪(めい)紺野真琴17歳が時間を行き来するオリジナルストーリー(脚本・奥寺佐渡子さん)。映画の冒頭はクラスメートの千昭と功介の仲良し3人組で野球をする真琴。バッターの千昭に「行くよ、それっ!」と球を投げます。これは夢で、目覚まし時計が額を直撃し自室のベッドで目覚めた真琴は妹に「起きなよ、いい加減」と言われ、最初のタイトルが出ます。

 「タイムリープ」で過去をやり直して(食べ損ねたプリンのため昨日に戻るとか、カラオケで好きなだけ歌うとか、たわいないことばかり)何でも思い通り、得意の絶頂だった真琴は千昭から告白されて戸惑い、過去にさかのぼって告白を「なかったこと」にしてしまいます。しかし千昭のことを意識してしまい以前と同じようには付き合えず。自分のタイムリープの結果、功介と下級生の果穂が踏切で電車にはねられ、事態は収拾不能に。実は未来人だった千昭がタイムリープでことを収めてくれますが、結局、彼は未来へ帰らねばならず、真琴は恋の痛みと未来へ進む意志を抱き、二度と戻らない青春の一瞬を心に刻んで成長を遂げる、という物語です。

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 夕暮れの河原で千昭と別れる…

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