首里城はウチナーンチュの魂だった 広がる再建支援の輪

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平良孝陽 山城響
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 首里城那覇市)の正殿などが全焼した火災から2カ月。再建を願い、故郷を離れて暮らす沖縄ゆかりの人たちが支援の輪を広げている。琉球王国の政治・文化の中心として栄え、沖縄戦による焼失からよみがえった姿は、人々の心のよりどころだった。ウチナーンチュ(沖縄の人)のマブイ(魂)を取り戻そうと模索が続く。沖縄出身の2人の記者が取材した。(平良孝陽、山城響)

 「首里城が燃えちゃった。悲しいね……」。10月31日朝、同志社大の大学院に通う佐久川恵美さん(30)=京都市上京区=に、沖縄の知人からLINEが届いた。慌ててテレビを見ると、鮮やかな朱色の建物が変わり果てていた。「ウチナーンチュとしてのマブイが空っぽになったようだった」。自分でも戸惑うほど涙が出た。

 那覇市で生まれ育った。琉球舞踊を習っていた幼いころ、1992年に復元されたばかりの正殿などを家族4人で訪れた。鮮やかな色彩の伝統衣装「琉装」を着た女性に出迎えられ、「大きくなったら私もこんなきれいなものを着られるんだ」と憧れた。「初めて、琉球の歴史や文化に私がつながっていると感じた」と振り返る。

 18歳で沖縄を離れて以来、首里城の復元は、戦禍を逃れた亡き祖母たちの悲しみや失われたマブイの「復興」だったのかもしれないと考えてきた。あの日舞い上がった火の粉の一つひとつに、戦争で命を落とした人たちや、首里城の復元に力を尽くした人たちのマブイが重なって見えた。

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 再建までの道のりは長いが…

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