義足セミヌードから7年、暗転と再起 中西麻耶の反骨心

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前田朱莉亜
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女子走り幅跳び・中西麻耶さん

 昨年11月11日。アラブ首長国連邦・ドバイでのパラ陸上世界選手権大会で見せ場がやってきた。女子走り幅跳び(義足T64)の最終6回目の跳躍。勢いに乗って5メートル37を跳び、一気にトップに躍り出た。逆転の金メダルで、東京パラリンピック代表にも内定した。

 パラリンピック、世界選手権を通じて初の金メダルだった。3人のメダリストが、それぞれの国旗を背に肩を組んで並ぶ。身長158センチの体は、両隣の外国人選手より頭一つ小さかった。

 右膝(ひざ)から下の競技用義足は、カーボン素材。硬いほど反発力も上がる。背の高い外国人選手は硬度の高いものを使うことが多いが、スムーズに走ることを優先し、軟らかさを重視する。「身長もなく、パワーも少ない。その分軟らかくしている。しなりのタイミングさえあえば、遠くまで跳んでいける」

 踏み切りは健常者と同じく階段を駆け上がるイメージで。その通りの「理想に近い走り」でつかんだ頂点。優勝が決まった瞬間、涙があふれた。「ずっとそれ(金メダル)がほしくて十何年、もがいてやってきた」

     ◇

 幼いころから「うまくいかない」のは、当たり前のことだった。実家は大分県由布市庄内町の山奥。大分市に行くにも最寄り駅から電車は1時間に1本しかなく、その駅までは徒歩で1時間かかった。たくさんの不便の中で、工夫して遊び、習い事をして育った。

 スポーツも得意。負けず嫌いで高い目標を口に出して言う子どもだった。中学からはソフトテニスに熱中する。無名ながら強豪の明豊高校(別府市)への進学を決意すると、監督に直接電話した。「私をとってください」と訴え、実現させた。

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 人生が一転したのは2006…

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