「五輪って何なんでしょう」国立建設、移転迫られた人々

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藤原伸雄 西村奈緒美
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 2020年東京五輪パラリンピックの主会場となる国立競技場東京都新宿区)。建設に伴う一帯の再開発で、解体された住宅がある。「都営霞ケ丘アパート」。移転を迫られた235世帯の住人はいま、完成した巨大スタジアムに何を思うのか。

 「子どもの笑い声が絶えない、本当に温かい場所だった」。アパートで暮らし、雑貨店を営んでいた甚野公平さん(86)は懐かしむ。この地で変わりゆく町並みの光と影を見て生きてきた。

 1933年10月、霞岳(かすみがおか)町(現・同区霞ケ丘町)で生まれた。自宅前に明治神宮外苑競技場があり、子どもたちの遊び場だった。

 その競技場で43年10月、「出陣学徒壮行会」が行われた。約2万5千人の学生らが銃をかつぎ、行進した。当時9歳。「外にいたら学生服を着た学生たちが行進してきてね。物々しい雰囲気だった」

 44年に福島へ学童疎開。終戦直後、霞岳町に戻ると一面、焼け野原だった。焼け焦げた家の庭から、富士山が見えた。一家はそこに雑貨屋兼自宅を構えた。

 日本は50年代、戦後復興のため五輪招致に名乗りを上げる。同競技場は取り壊され、国立競技場の建設が始まった。甚野さんの自宅を含む一帯の建物は取り壊された。

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 代わりに兵舎跡に都営霞ケ丘…

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