アメリカンフットボールの大学日本一を決める第74回甲子園ボウル(全日本大学選手権決勝)が15日、阪神甲子園球場であり、西日本代表の関学大(関西)が東日本代表の早大(関東)を下し、2年連続30度目の優勝を果たした。今季限りでの退任を表明している関学大の鳥内秀晃監督(61)にとって、これが甲子園でのラストゲームとなった。

 1998年から4年間を関学大の選手として、社会人になってからは取材者として監督と向き合ってきた記者が、12度の大学王者に導いた指揮官への思いをつづった。

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 鳥内監督へ

 大舞台で躍動する学生たちの姿を、どんな思いで見つめていたのでしょうか。

 監督は今年2月の退任発表でこう言われました。「監督が最後やからって頑張るんはおかしい」と。そうやっていつも学生を突き放していますが、愛情の裏返しであることはみんなが知っています。

 監督はこうも言われました。「指導をしていておもろいのは目標を達成した時の顔をみることや」と。学生たちはリーグ最終戦で立命大に敗れ、厳しい日程での2試合を勝ち抜き、立命大にリベンジを果たしました。「お前らにはまだ(チームカラーの)青い血が流れてへん」。そう叱咤(しった)されたそうですね。後輩たちは、頂にたどり着きました。どうですか、目の前に広がる選手の笑顔は。

決戦前の「儀式」

 私は現役時代、この舞台に3度立ちました。決戦前になると監督はきまって、「俺は明日、墓参りに行ってくる」と話していたのを覚えています。大一番の前の「儀式」ということは理解をしていました。

 ただ卒業から17年たって、指導の原点がそこにあるのでは、と考えたのです。元関学大監督だったお父様の昭人さんも眠る京都へ、11月のお墓参りにご一緒させてもらったのは、そのためです。

 住宅街の中のこぢんまりとした墓地に鳥内家の墓はありました。ここを毎月訪れ、決戦前にも足を運び、墓石を布で磨きあげながら線香とろうそくを立てて、拝む。「これが試合前のルーチーンや」。私がほうきを手に手伝おうとしたら「拝んでくれたらそれでええ」。私は墓前に手を合わせながら、監督が常勝が求められるチームの伝統と継承を重んじてきたのは、代々続く鳥内家を大切にしてきたことと決して無縁ではない、と思ったのです。

 「書いたらあかん」。そう声を荒らげられたこともありました。今年2月、監督がやめるらしいと関係者から聞き、私は急いで上ケ原を訪れました。「何しに来てん?」。そう言う監督に直球で聞きました。「今季でやめるんですか?」

 「……そや」。意外とあっさり認めてくれました。でも、もっと印象が深かったのはそのあとです。関学大OB、そしてアメフト担当記者として他社に先に書かれることは許されません。書かせてほしいとお願いすると答えは「NO」。監督は「こっち(関西)には(自分のことを)よく思ってくれている人たちがようさんおる。裏切られへんやろ」。そう言って、在阪の報道陣から還暦を祝ってもらったときの写真を、うれしそうに見せてくれました。

 メディアに対してもそのつなが…

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